2014年8月19日火曜日

変化

私は子供の頃から”不思議大好き”で、幽霊やら、UFOやら、超能力やらといったものにいつも興味がありました。感覚が鋭敏な面があり、人の体のエネルギー状態を見るとか、オーラを見るとかいうことも、自然とできたりしていました。でも若い時は、どちらかと言うと興味がオカルト系に寄っていて、ある時点でこんなのもういや、こういうことには一切縁がなくていい、怖いものを見るくらいなら、特別な能力は一切欲しくない、と思うようになりました。

数年たって、ニューエイジの世界に出会ったわけですが、ここでも色んな神秘体験をしました。昔のオカルトよりはずっと奇麗な世界でしたが、高次元が存在するには低次元が存在しないといけないわけで、低次元への恐怖というのは、ここでも常に存在しました。

ずっとずっと、神秘体験=スピリッチュアルな向上の証、と思ってきたのですが、長年瞑想していくうちに、気がつくと、そういった体験への興味がどんどん薄れていました。昔はとても意味あることと思ってしがみついていた、数々の体験の記憶が薄れて行き、重要性も感じられなくなっていきました。

しかし一方で、覚醒=悟りの証明となる、決定的な体験を追い求め、夢見ていました。これまであちこちに分散していた興味が、この一点に集中したような感じでした。トニー・パーソンズのリトリートで人の話を聞いていて、忘れていたいくつもの、目覚め体験が思い起こされました。”ああ、目覚めなら何度も体験してきたんだ。でもどうして未だに、最後の覚醒が起きないのだろう。” 心の中のもがきは、結構な痛みを伴いました(というか、もがくから痛みが生まれていただけなんですけど・・・)。