2017年6月28日水曜日

間違ったものを見出せない

私の師、カーリーは、出会った頃は強烈な人でした。
鋭さと容赦のなさ、触ったら切れそうなギリギリの感じがありました。

それは彼女があまりにも真剣だったためだと思います。

16年の中で、様々な我が師の変化を見つめることになりましたが、
ここ数年は特に、すべてのものの、あるがままの完璧さを見ている=どんなものにも間違いを見出していない、ということに気がつきます。

ジェッド・マッケナが”僕は完璧な宇宙に住んでいる”と言いましたが、我が師もそれを完全に体現しています。


同時に、ものすごく文句を言ってるように見える時もあります。笑


ある共通の友人について、”カーリーが痛烈に彼女を批判し”、聞いていた私はだんだん居心地悪くなっていきました。二人の間に挟まれているような気持ちになった私の、居心地悪さが頂点に達した頃、ふいに、
”今私は、彼女の何かが間違っていると言ってるように響いていることを
よく承知しているけど、まったくそうは思ってないのよ。”
という言葉がカーリーの口から飛び出しました。自己弁護でもない、自分の説明でもない、彼女の話から途切れることもなく続いたその言葉は、まるで他の機械の解説をしているようでした。

おかしな経験でした。

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何かがこうあるべきだ、こうでなければ間違っている、
という観念がない人の口から出る言葉は真実に満ちています。

空気のようにニュートラルな観点は、事実だけをシンプルに指摘します。それはスピリッチュアルとか呼ばれる分野特有の話ではありません。

数ヶ月前に4人の移民弁護士さんと関わる機会があって、それを体験しました。
領事館からVISA申請に関して追加資料を求められ、申請が却下される可能性もある繊細な状況だったので、弁護士さんに助けを求めました。

最初の3人の弁護士さんは、皆、過去の経験に基づく”自分の角度”を持っていました。なので質問と関係ないアドバイスが多く、必要な情報を受け取るのに、なんども質問を繰り返さなくてはなりませんでした。

また、弁護士さんは職業柄、情報が命ですから、どれくらいの情報をこの料金の中で渡すべきか、いつも頭の中で計算しているのが見て取れ、ここでもしつこく質問を繰り返さなくてはなりませんでした。

それはこれまで何年か、何人かの弁護士さんと仕事をしてきた私の印象通りで、チャレンジではありましたが、特に驚くことではありませんでした。
むしろ驚いたのは、4人目の弁護士さんです。


4人目の弁護士さんは空気のような人でした。

非常な無理を押し通したのに、会った時にはまるで、そういうことは記憶のどこにも止っていない様子でした。持ってきた資料をすべて読んでくれたのも、この弁護士さんが初めてでした。

すべての情報を空気のように吸い上げたあと、”私にどんなお手伝いができますか?” と聞いてくれました。そこにはどんな方向や意見をも押し付けることがない、完全なオープンさがありました。

私は指定の時間内・料金内で、最大限の情報を得、無用な情報を削ぎ落とすことができました。

最後に弁護士さんは、”助けになりましたか?”と聞きました。
”あー、さすがに自己評価は求めるのね”と思ったら、勘違い。本当に役にたったのかどうか、という事実確認だけで、賞賛を求めているのでも、自己評価を求めているのでもありませんでした。


この弁護士さんは、私に相当なインパクトを残しました。
どこにもひっかかりのない、果てしなくニュートラルなあり方と、そこから出てくる適切で曇りのない情報。この人のあり方は、本当の意味で人に仕えていると思いました。

こんなあり方からなされる仕事は、それが書くことでも、マッサージでも、料理でも、セールスでも、本当の意味で人の役に立つ、と思いました。

以来なんどもなんども、感情や意見が活発になって彩りを加えそうになると、この弁護士さんのことを思い出しています。