2014年8月9日土曜日

イシャヤのアセンションとは

今の自分に合わなくなった古い記事を削除してしまったので、イシャヤのアセンションに関する簡単な説明を足しておきたいと思います。

イシャヤのアセンションというのは、瞑想法の一つです。1990年代に、マハリシ・サダシバ・イシャム(MSI)という男性(アメリカ人)によって広められました。日本には90年代後半に紹介されました。

イシャヤのアセンション(以下アセンション)は、とてもシンプルな瞑想法です。気がついたとき、アセンション・アチュチュード(以下アチュチュード)と呼ばれる短いフレーズを思い浮かべ、起きることを起きるがままに任せます。特定の姿勢を保つこともなく、思考をどけようとすることもなく、アチュチュードを頭にとどめようともしません。この何事も強制しない、自然で優しいプロセスにより、通常無意識に繰り返されている思考パターンが破られ、頭・心・体に深い休息をもたらします。

私たちは通常、人生を生きる中で自分に関する様々なアイデアやイメージを積み上げます。年齢、性別、職業、性格、得手不得手、好き嫌い等々・・・それらのイメージと自分を同一化して、それらが自分であると思い込むようになります。しかし同時に、どこか深いところでは、それらが単にアイデアもしくはイメージにすぎず、本来の自分、自己の本質は何事にもしばられない、無限の存在そのものであることを知っています。

そのため、多くの人が心の中に、言葉にできない違和感を抱いています。何かがおかしい・・・本来の無限の存在としての自己を忘れ、ごく限られた存在として自分をイメージしているわけですから、なんとも満たされない思いがあるわけです。この満たされない思いをどうにかしようとして、私たちは様々なものを求めます。お金、名声、恋愛、仕事、車、コンピューター、その他、ありとあらゆるものを求めますが、どれにも満足できません。欲しいものを手に入れて、つかの間の満足はあっても、次の瞬間にはまた何かを求めています(実際、つかの間の満足は、欲しい物を手に入れて、その瞬間何も探さなくていい、追い求めなくていいという、”求める狂気からの自由”がもたらす安堵感なのですが、大抵の場合、”物”がもたらしたのだと私たちは勘違いし、もっと、もっとと次を追い求めます)。

アチチュードは、賞賛、感謝、愛に基づいた、存在の本質を表現するフレーズです。そのため、私たちの深い部分、自己の本質をしっている部分が共鳴し、即座に自己の本質を思い出します。それを多くの人は、深い静寂の体験等と表現します。アセンションは目をあけた状態でも、閉じた状態でも行えるため、日常生活に浸透しやすく、いつでもどこでも行うことができます。

以上がごくおおまかな、アセンションに関する説明です。