2014年4月25日金曜日

トニー・パーソンズ リトリート 庭の木


トニー・パーソンズのリトリートが行われた会場の、庭にある木々。。。。

風が強いときは、大きいだけに揺れる姿がモンスターみたいです。

 

6年ぶりのトニー・パーソンズ リトリート


イギリスまでやってきました。トニー・パーソンズのリトリートに参加するのは2回目です。今回はまだトニーに会ったことがなかった旦那の希望で参加したのですが、6年前と比べてどんな体験になるのか、とても楽しみでした。

トニーのメッセージはショッキングです。リトリートの形態そのものも、他のスピリチュアル・コースと相当異なります。ルールがないというか・・・タバコも吸ってよし、お酒も飲んでよし、カフェインも甘いものも取り放題・・・最高です!(笑)6年前、初めて参加したときには、大変な驚きでした。精神世界=自分を清める、高める、という発想でしたし、それまで参加したコースはすべて、その考えを強調するようなものばかりでした。6年前はすでにお酒飲みではなかったのですけれど、ミーティングでお酒を飲んでもいいという、そのあり得ない経験をするために、お酒を買い、グラス片手にミーティングに望んだのを覚えています―ワクワクしました(笑)。

トニーは”自分”、”私”というものが幻想であることを徹底して伝えます。だから誰一人として悟りを開く”人間”などいないのだ、と強調します。瞑想その他、目覚めるための努力、”私”のよりよい未来、”私”の希望や期待、といったことのはかなさや無益さを容赦なく指摘します。6年前、彼の注意を惹こうと一生懸命話しかけて、”You don't even exist!"と半ば怒鳴られたときは、ショックで凍りました。でも言われたことの意味がわかったのは、それから5年後でした。

You don't even exist---私などというものは存在してすらいない。今はそれを体験を通じて知っています。同時に、その体験が訪れるたびに、どれほど素早く”私”が拒絶するかも知っています。そんな中で、”私”が存在していない瞬間と、”私”が中心に感じられるとき、その両方の経験について確認したり、分かち合ったりできたのは、心溶ける経験でした。

何かをしたら”究極なるもの” ”すべての命なるもの”に到達できる、などという発想は狂っている。世の中のすべてがそれでできているのに、それしか存在していないのに、どうやってそれになろうとか、到達するなんてことができるのか?すべては自然な現実から目をそらし、幻想にとどまるための発想でしかない・・・

彼はどんな宗教にも属していませんし、私も特に強い宗教バックグラウンドはありません。それなのに、彼のコースに参加している間、”これこそがきっと究極の禅なのだな”という思考が頭に何度も流れました。特に意味はないですけれど・・・。

イギリスはもとより、ニュージーランド、フランス、スイス、スェーデン、ノルウェー、アメリカ、中東・・・世界各地から80人が集い、素晴らしい出会いがたくさんありました。今年は彼の本が日本語で出版されるそうです。


2014年4月4日金曜日

静寂

命の根底に流れているもの・・・動かない源泉に注意を向け続けるうち、生活がすっかり静かになりました。

この精妙な感覚に一度気づくと、それは静かに、その姿を現していきます。”私”という賑やかな幻想の波の合間に、限りない静が広がっていることに気づくと、やがて、”私”という賑やかなお祭りは、この限りない静の中に湧いては消え、湧いては消えていることに気づきます。静かさから逃げるためなら、どんなことでもしていた頃が嘘のようです。

この静けさは、耳に入る音とは関係ありません。コーヒーを淹れに台所へ向かうとき、足音と足音のはざまに、そしてすべての動きと音の周囲に、根底に、静けさが満ちているのに気づきます。外では鳥が鳴き、車の音が響いています。

ただ静かにあることが、こんなに満ち足りたものだとは思ってもみませんでした。

すべての根源に注意を向けて生きるようになって、退屈と無縁になりました。かつての自分からは、信じられないことですが、かつての自分が信じられない生き方をしていたのか、今の自分が信じられない生き方をしているのか、、、、人生というのは面白い幻想です。