2015年3月3日火曜日

生命の地盤から

J.C. アンバーシェルという、刑務所の中で自己の本質に目覚めた人がいます。私はまだ『The Light that I am』という本しか読んでいませんが、他にも複数の本を出版しているようです(詳しくはこちらのヒロさんのリストをご覧下さい)。

アンバーシェルは服役中に精神世界に興味を持ち、獄中で数十年仏教を学びます。そしてある時ダグラス・ハーディングのヘッドレス・ウェイに出会い、それを通じて自己の本質に目覚めます。『The Light that I am』は、ヘッドレス・ウェイを通じて存在の本質に気づいたその見地から、過去のこと、また現在の獄中生活のことについて綴った随想録です。

”私”=アンバーシェルという枠の中で生きる一日と、”私”の存在しない、生命の本質そのものとして生きる一日を並べて綴った随想は、同じ刑務所生活が、自分を何物(何者)と捉えるかによってどれだけ違うものになるかをありありと描写していて、読んでいて目が覚めるものがありました。

自殺未遂を計った娘が面会に来た時に、何もしてあげられることが無い絶望感の中、ヘッドレス・ウェイを彼女と分かち合い、娘が現実を垣間みるのを目の当たりにします。その過程、そしてその後の娘の変化、娘との関係の変化を綴った随想は、読んでいて胸(と目頭)が熱くなりました。

・・・というのはほんの一部の紹介ですが、この本にはNotes from the Ground of Beingという副題がついてます。私はこの副題を本の題名と同じか、それ以上に気に入っています。
もちろんいく通りかに訳すことができますが、今ぱっと思い浮かぶ中で私のイメージに近いのは、

生命の地盤からの覚え書き
生命(いのち)の見地からの覚え書き
存在の基盤からの随想録

といったところです(どれもイマイチだけど)。
存在の本質、生命の基盤、あるいは生命そのものとして綴る随想録・・・彼の文章はまさに”それ”そのものの表現です。”私”というフィルターを通過せず、まっすぐに表現されています。

さらに”毎日をそれとして生きる”、というのがすべての文章の根底にあって、私にとってはそれが非常に魅力的です。

ちなみに・・・

この副題を眺めながら、何度となく頭に思い浮かんだのは、『この世界で知っておくべき、たった一つのこと。』というブログです。(逆かな?このブログを読むたび、この副題を思い出した、というのが正しいところです、はい。)

これまで私が読んだ非二元の本は、説明形態のものがほとんどでした。言葉にできない生命の本質を説明するならこんなことになる、あるいは、こういう考え方や物の見方は違うんだよ、と説明する感じのものです(そうでないものもあるのでしょうが)。

アンバーシェルはそういった中で、もっと現在進行形で生な感じが異色に感じられたのですが、このブログの表現はさらに異色で、私は他に同じようなものを知りません(あえて言うならウェイン・リカーマンがラム・ツーという別名で出している、『No Way』という本が笑える、という点で同じですが、『この世界・・・』にあるような優しさはないです)。ブログの随所、表現のすべてに、書き手の目覚めの深さが現われているように感じられます(英語でいうならsolidということなんですけど・・・ぶれや波がない?)

アンバーシェルと同じく、存在の本質からストレートに湧いているような表現は、しばらく前、このブログの記事にあった、”秘湯”そのものという感じです。一なるものからこんこんと湧いている”公然の秘密の温泉”。しかもこの温泉、浸かるとくつろげるばかりか、お腹の底から笑えるという素敵な効能が。

素晴らしいブログです。