2015年3月20日金曜日

”私”に、ワクワク、ドキドキ

スピリチュアリティとか、非二元というアイデアにのめりこんでいたときには、色々なマイブームがありました。ヒーリンググッズとか、新しいメソッド・教師関連のマイブームもたくさんあったのですが、それ以上にヒットしたのは、悪者攻撃ブームでした(^^)。

エゴはいけないから、エゴをどけるべきだ。
執着はいけないから、執着をやめるべきだ。
欲しがるのはいけないから、欲しがるのをやめるべきだ。
嫉妬はいけないから・・・・

リストは延々に続きます。
今こうやって書いてみると、それらの一つ一つをどれだけ真剣に信じてもがいたかが思い出され、くすぐったくてたまりません(^^)。

「わぁ!これすべて、本気だったんだよな」って大きなスマイルマークを載せたくなります。

誰かが本にそう書いていたから、誰かが言ったから、「そうだ!そうしなくちゃいけないんだ!」ってすぐに信じていました。

頭が悪い、とか、洗脳されやすい性格だ、とか色々な考察はありますが、問題の原因は何かというと・・・”無邪気さ”です!(^^)!

マインドの無垢さがいけないんです!(笑)

「私ったら無邪気な性格だから〜」とか言うのとは違います。
性格ではなく、性格という表現をその背景でそっと支えているもの、可能にしているものが、本質的にどこまでも、どうしようもなく純粋だ、ということです。
そしてマインドは本来、”それ”と違うものではないからです。

マインドは無垢だからこそ、”空は青いんだよ”と言われればそれが空で、青だと覚え、”私があなたのお母さんよ”と言われたら、その”人”が、”お母さん”というものだと覚え・・・そうやって無邪気に、ゼロから、”社会”で機能することを習い覚えたわけです。そして良いとされることを覚え、悪いとされることを覚え、どうするべきかという人の言葉を信じ・・・

そこには意図は存在しません。純粋な機能があるだけです。



ちなみに、私の最後の悪者ブームは”私”でした。

トニー・パーソンズに会ってから、そしてその影響を受けた人たちの本を読んだり話を聞いたりしてから、”私”というものが最大の問題だったんだ、これさえなくなれば真の目覚めとか、究極の悟りに達することができるんだ、と本気で信じて長いこと”私”駆除を目指しました。

トニーは『”私”をどけたい、と思うのは”私”だけで、幻想の”私”に”私”がどけられるわけないんだよ。』と何度も言いましたが、それは聞いた先から頭の中をすり抜けて行きました。

「トリックに決まってる。きっとなんとかやり方があるはず。だから彼は今の状態に至ったに違いない。」

でもその傍らで、別の体験が起きていました。

前に何度か(も?)書きましたが、私は瞑想の教師になるためのコースに参加して、4−5ヶ月の間集中瞑想を行ったんですが、毎日昼も夜もなく、永遠に瞑想し続ける中で、だんだんと脳みそが溶けていき、それと一緒に、それまで頑なに守ってきた色々な”自分ルール”が、どんどん溶けていってしまってました(いくつかはコースの後ちゃんと帰ってきましたが ^^)。

曜日感覚も消え失せ、時間感覚もおぼろげな中、色々な思考や記憶がランダムに浮かんでは消えていきました。

そんな中で、”私”にワクワクしたり、ドキドキしたりした瞬間の記憶がいくつも意識に昇ってきました。

後年、すっかり悪者に仕立て上げられてしまった”私”ですが、子供の頃は、思考に集中することで自分の中にエネルギーが湧き、身体に反応がおきるのが、なんとも不思議で面白くてたまらなかったんですね。それでもっともっと、とやってみたり・・・

”私”のイメージを真剣に検証してみたり。
どんなイメージを作り上げるか真剣に書いて考えたり、練習したりして。

そんな瞬間の記憶の数々が、脈絡もなく意識に浮かび上がってきました。
”私”というのは、面白くて仕方ない遊び道具だったようです。

そんな記憶を眺める中で、事の発端はやはり”無邪気さ”だったんだ、というのが淡々とした事実として見えました。そうして私の中の悪者攻撃ブームはほぼ終わりを告げました(次に返ってこないとは限らないけど ― 今のところ、悪者攻撃は体力がいるので、すっかりぐうたらが身に付いた私には、かったるくてできないのです^^;)。

”私”は本当に便利で、愉快なものです。