家は一瞬で売れてしまったのですが、その後必要な検査や取引が短期間に圧縮される結果となり、売買の確定を前提に引っ越しの予定は入れざるを得なかったものの、本当に引っ越せるのかどうかわからない、という状態がしばし続きました。おとといの夜、ようやく売買契約が最終的に確定し、今日は引っ越し屋さんが梱包をしてくれて、明日は引っ越しです。段ボールの山に囲まれて、住み慣れた家最後の夜を過ごしています。
家は、おとといまではショールームちっくに奇麗に保たれていました。
昨日ちろちろと荷物が引き出され、ちょっと”引っ越しするぞ”という感じが出はじめ・・・
今日あっという間に荷物が梱包されてしまいました。
魔法のようです!
明日までインターネット契約を残しておいたのに、モデムが外されてしまったので、予定外にインターネットに継続できなくなってしまった・・・と思ったら、携帯でホットスポットというものができるし。
魔法のようです!
すごいなぁ、すごいなぁ、と、驚きやら感謝の念やらが浮かびます。
”どう?大丈夫?引っ越しのストレス感じてる?”
引っ越しが決まって以来、友達や知り合いが色々心配してくれたりしたのですが、自分の中を探ってみても、快適なリビングに座ってくつろいでいる、というのがその時その時点での現実で、まだ起きていないこと(引っ越し)に何かを感じる、というのはどうにも不可能な気がしました。
”どう?チャタヌガに行くの(来るの)楽しみ?”
この質問に関しても同様で、返事に困りました。”楽しみ・・・楽しみ?”まだノックスに住んでいるのが現状で、チャタヌガに住んだことないし・・・
バイロン・ケイティのインタビューが思い出されます。
”『〜することを楽しみますか?』なんで聞かれることがあるんだけど、私としては、どうやったら私にそんなことがわかるの?って。だって今やっていないんだから!実際にしてみるまで、楽しむか楽しまないかなんてわかりようがないわ。”
人が来て荷物を梱包してくれるというのも初めてだし、本来自分のものは自分で片付けたいほうなので、明日あたりはストレスフルな日になるのかなぁ、なんて昨夜お風呂に浸かりながら思ってたら、突然恍惚感がやってくるし。
ええっ こんな時にですかぁ・・・
なんだか妙に場違いな気がしたんですが、同時におなじみの”これは何かが起きるかも!”とか、”これはなんの意味があるんだろう?”といった宝探し思考が湧いて、ちょっとの間それにくっついて奔走し、はたとそれに気づいて笑ってしまいました。
経験はいつでも、人と場所を選ばすやってきます。
そしてそれは、起きてみるまで決してわかりません。
そして起きることには、”起きた”という以上の意味はありません。それが故に、起きることはすべて素晴らしい気がします。ストレスを感じる瞬間も含めて。