この光景。
画才の無さはさておいて、ベッドに座っているとき視界に広がる光景、のつもりです。
”今ここにある、と言えるものは何なんだろう”という問いが、繰り返し浮かんでいた時期があって、あるときふと、視界が気になり始めました。
生まれたときから今まで、目を開けているときには変わらずにおなじみの、この空間。
この空間の中に、さまざまな物や人が存在します。すなわち、私の世界です。違う場所に行けば違うものがこの空間を満たしますが、この空間自体は変わりません。生きている限り、目を開いたときには死ぬまでこの空間があって、そこにそのときあるものが、そのとき存在していると言えるものすべてであることに、今更のように気づいてはっとしました。
ちなみにマインドにとってこの光景はどんなものかと言うと、
こうです。そこに座っているはずの”私”のイメージ付き。実際には後ろ姿を見ているわけではなくて、自分の輪郭の感覚がはっきりそこに投影されている、という感じ(自分の顔や頭がそこにしっかりあって、私が私の目を通して目の前を見ているのだ、という感じ)なのですが、とてもじゃないけど私の画力では絵にできません(^^;)。
自分を”私”という人として、世界の中心として見ているときと、”それ”として、すべてを抱合しているとき ― ふたつの感覚の違いには、大きなものがあります。
そして目を閉じると、世界は崩壊します。
最初こそ、それまで見ていたものの光景(私は部屋にいて、ベッドにすわっているのだ、というイメージ・確信)や、”私”の輪郭を心象風景として保持していますが、やがてくつろぐにつれ、”視界”なるものが消え去って、音と感覚、感触だけが残ります。
枠の無い、制限の無い闇の中にランダムに、イメージ、感覚、感触が湧いては消えていきます。マインドが糸を紡ぐように、すべてをつないで物語を織ろうとします。
やがて疲れて、そのすべてが静かに消え去るまで。