慣れないことをたくさん強いているのに、夜はよく眠り、朝にはまたしっかり起きて機能してくれる、優れた体に深い感謝を覚えます。
寝る前にちょっとの間気に入った本を読むのが、一日の最大の楽しみです。ここ最近はヒロさんのお勧めで知った、『Goner』というU.G.クリシュナムルティ関連の本にはまっています。gonerというのは、見込みの無い奴、救えない奴、とかいったような意味です。
各章のはじめには、透き通るような、あまりの明晰さに心臓に突き刺さってくるようなU.G.の言葉が載せられています。そしてそれに続く本文の中では、U.G.の奇行、蛮行、とんでもない発言の数々と、周囲の人たちの反応について、作者の人生の変化についての”物語”が展開します。この物語には相当な牽引力があります(^^)。
もともとU.G.のそういう規格外なところに強く惹かれてきたんですけど、それにしてもいやはや・・・想像を絶するものがあります(笑)。実際に会いに行ったりしてたら、きっとすごくくだらない質問をして、3分以内に怒鳴りかまされ、さらに蹴り出されていたのではないだろうかと思います(^^;)。
例のごとく、ゆーっくりと読み進んでいるのですが、数日前にこの言葉を目にしたときは、心が溶ける思いがしました。
”Once it has become pure, of and by itself, then nothing can touch it, nothing can contaminate that any more. All the past up to that point is there, but it cannot influence your actions any more.”
ひとたびそれが純粋になったなら ― ひとりでにそれが起きたなら ― もはや何ものもそれに触れることはできない、それを汚すことはできない。その地点までの過去のすべてはそこにあるが、それはもはや、あなたの行動に影響を及ぼすことはできない。日本語にするなら、こんなところでしょうか。
”それ”というのは私たちの存在の本質、すべての存在の本質であるもの、という意味だと思います。人格は”私”に取り除けるものではありません。ただあるとき、”人格”としての私への同一化がひとりでに剥がれ落ち、本質が自ら自然と我に返ったならば、もはやなにものも、その純粋さを汚すことはできない。。。。
あああ―――と、体の芯から湧いて来た、郷愁とも喜びとも限定できない思い。
知っている。なんのことか知っている。
深い、深い、満足感と共に沈んでいきました。同時にチロリと湧いた思い。
「知っているのは誰(何)だろう・・・」
答えなんかいらないけれど。
でもま、”自分”のことですからね。知っているんですね、私たち、みんな。