不思議な一日でした。
朝いつものように瞑想していて、時間より早く瞑想を終えました。まだ心がざわついていたので、時間いっぱいまで瞑想を続けるべきかどうか、ちょっと葛藤がありました。
その時、目の前に伸びている自分の手、足とそれを覆っている毛布を見ながら、ふいに”This is it."という言葉が浮かびました。
This is it.
迷いがあるまま、葛藤があるまま、思考がうるさいまま、それだけ。本当に、ここにあるもの、それだけ。バーナデット・ロバーツの言葉を借りるなら、現実は目の前に見えているものそのまんま。裏も表も、読み解くべき謎も、隠された意味もない。改善しよう、改善できる、変えよう、という一切の呪縛が解けて落ちました。
それからクリスマス・ショッピングに一日忙しく駆け回り、夕方ジムでトレッドミルに乗っていました。前にもちょっと触れましたが、私の通うジムでは”私たちが退屈しないように”テレビモニターが何台もつけられ、爆音で音楽がかかっています。いつものように携帯とイヤホンを用意していましたが、youtubeを見る気にも、その他何かを携帯で見る気にもなれず、そのまま爆音と騒音の中で、テレビモニターを遠くから眺め、歩き始めました。
爆音と騒音の中で歩くうち、ふいに、
”ああ、本当にこれがすべてなんだな。”
とストンと落ちました。爆音の中に安心して身を任せきっている自分がいました。
周りにごちゃごちゃ人がいて、テレビのニュースやら、ドラマやら、人々のおしゃべりやらが溢れ返っている―これの何がいけないんだろう?何がいけないと思っていたんだろう?何を嫌がっていたんだろう?
これまで生きる中で、怖いものがたくさんできて、それを避けること、それから自分を守ること、それらを変えることに必死でした。お金が一杯手に入ったら、理想のパートナーが手に入ったら、仕事でものすごい成功したら、有名人になったら・・・きっとこのお化けを見ないで済むようになる、と思っていました。
その最終手段がスピリチュアリティでした。最上・最高の手段と聞き、そう信じていましたが、悟りを迎えた後には、果たして何が残っているのか、どこへ行くのか―考えたことがなかったような気がしました。
”お姫さまは王子さまと結婚して、その後永遠に幸せにくらしました”
永遠に続く至福、光り輝く悟った自分、というような空想の旅が終わり、仙人にはならないらしい、とわかった後、どこかのコミュニティのグルにはならない(なりたくない)とわかった後、目覚めて一体どこに着地するのか。
普通の、日常です。
家が嫌いで遠くへ行くことを夢見ていたのとまったく同じで、どこかへ行くことばかり考えていましたが、楽しい空想の旅の果てにあるのは、悟った人だけが住む特別な次元でもなく、”ごく普通の日常”への帰還でした。静謐さや神聖さばかりでなく、騒音や雑音に満ちて、混沌としていて、嫌なことも不快なことも楽しいこともたくさん起きる、この日常。
やっとそこへ帰って来ました。
ああ、旅が本当に終わった、という思いがけない、静かな感慨―経験のない、言葉で表現できない感覚がありました。
旅の終わりはユートピアにたどり着くことではなく、人としての人生にあることでした。生まれたときと同じ世界、スピリチュアリティの前と同じ世界、ただ一つの違いは心のお化けがいないこと。架空のお化けがいなくなったので、当たり前の世界にちゃんといられる。
目が覚ましてみたら、世界は安全で、安心できるものでした。