数年前のことですが、私は母と国際電話で話すたび、母が同じ話ばかり繰り返すことに少々辟易していました。
「お前がいない間に、本当に色々あったのよ!」
と、母は深い感慨のこもった声で話をはじめるのですが、少なくとも90%は、何ヶ月前、あるいは何年か前に聞いた話ばかりなのです。
年を取ったから、などと多くの人は片付けるのでしょうが、私の中には母にそれを気づかせたい、という我があり、またあまり楽しくない同じ愚痴を聞くことに食傷気味だったので、うまく聞き流す、ということができずに苦痛に感じていました。また、”同じ話ばかりしていることに、本当に気づかないのだろうか?”と心底驚きを感じてもいました。
そんな話を私の師、カーリーにしたところ・・・彼女にまじまじと顔を覗き込まれました。その顔は、”あんた、自分は違うとでも思ってるの?”という無言のメッセージをしっかり、はっきり送っていました。
”なによぉ・・・”
と思いました(笑)。自分は母と絶対に違う、同じ話なんか繰り返してないわよっ、まだそんなに年いってないんだから!―と、本気でむっとしました。
その後もしばらく、この驚きの事実について友人たちに話したりしていたのですが、やがてあるとき、自分の思考やパターンも、常に同じことであることに気がついて愕然としました。
何度も何度も同じ問題に繰り返しぶちあたる。
いくら瞑想しても、ありとあらゆる努力をして、ちょっと改善したような気がしても、ちょっとすると同じことを繰り返している。悩みも、文句も、ちょっとシナリオが変わるだけで97%は一緒な気がする・・・
やがて問題だけでなく、人生そのものが、同じパターンの繰り返しである、という感じが強まってきました。いいことが起きて、嫌なことが起きて、いいことが起きて、嫌なことが起きて・・・。
ただひたすら、同じことを繰り返す。自分、というものが本当に何なのか心底知るまで。
物事の本質に目覚めて、”風穴”が空いた後も、この繰り返しは続いたりします。カーリーは、”これまでたくさん感情的、エネルギー的投資をした物語は、慣性の法則で、それが止まるまでちょっとかかったりするものよ。”なんて言っていたのですが、止まるのかどうかすら、私には知りようもありません。