私が大人になって初めて正式にならった瞑想法は、ヴィパッサナ瞑想でした。この瞑想法は、その厳格さ、ストイックさにおいて、当時私が求めていたものにピッタリでしたが、初心者にとって、10日間の厳しい修行は相当なチャレンジでした。
ヴィパッサナでは、10日間コースのうち、9日間(9日半?)は会話を許されません。この”会話”には、目線を交わすこと、ジェスチャーによる会話、筆談も含まれます。一切の外との交流を断って、自分の内側に向かうことを求められます。読書、日記や手紙を書く等といったこともしてはいけません。
これは思った以上に厳しいことでした。
私は、ちょっと気になることがあるとすぐ人に相談したり、暇を紛らわすために友人とのおしゃべりにいそしんだり、しゃべるということにかなりの依存がありました。言葉での会話を止めても、目線やジェスチャーを使ってのコミュニケーションはほとんど条件反射的におきて、それを避けるためには常に下を向いていなくてはなりませんでした。
人との会話を止められることにより、私が当時一番逃れたいと思っていた、自分の頭の中の会話を永遠に聞く羽目になり、自分の中に溜まっていた怒りがこみ上げて、まさに気が狂うかと思いました。
会話を許された後の半日間の経験は、驚くようなことがたくさんありました。まず、自分の声がまったく変わっていました。それから、それまで一切言葉を交わしていなかったにも関わらず、参加者の人全員に、深いつながりを覚えました。
コースを終えて帰宅したとき、親しくしていた友人の一人は、私の声の変化にすぐに気づき、とても驚いていました。もちろん、この”素敵な変化”は日を追うごとに薄れて行き、1週間もたったときには、私の声はコース前のものに戻ったわけですが。
この初めての瞑想コースは、私にとって相当なインパクトがありました。帰宅後も指示された通り毎日朝夕1時間ずつ、ヴィッパサナ瞑想を行い、上級者クラスにも一度参加しました。
・・・と、いうのが話の前座ですが、続きは明日・・・