ジョーイ・ロットは、
「前回から今回のビデオまで間が開いてしまったけど・・・悟った人だけがする特別な活動が色々忙しかったからなんだ。例えば・・・寝るとか、食べるとか、家族と時間を過ごすとか、書くとか、それとかうんこするとか・・・知りたいかもしれないから一応言っておくけど・・・ガハハハ!!」
と、いうような豪快さと、非常な繊細さを兼ね備えた人です。冒頭の言葉は、”悟った人だけがする、特別なことがある、なんて思ってると、目の前の大事なことを見失うよ”、というメッセージに続きます。
私はヒロさんのブログでジョーイのことを知り、彼のビデオや本を色々見てみました。
正直、最初の頃のビデオには興味が持てなかったのですが、Nothing in the Middleシリーズを見て、とても好感を抱きました。と言うか、彼の豪快な笑い声の気持ち良さと、澄んだ目が大好きになりました(昔の記事:隣のグル、ナマケモノ)。
ジョーイの魅力は、そのメッセージのシンプルさと普通さにあります。皆が探し求める”究極の幸せ”は今ここにあり、何一つ特別ではなく、それが故に限りなく豊かで自由である、ということを、どこまでも簡単な言葉で伝えようとします。
私の友人に、エクハルト・トーレ、トニー・パーソンズ、ガンガジ、アディヤシャンティ他、有名な人の本やビデオを色々試して、”難しくてわかんない”、と言い続けていた人がいるのですが、ジョーイのビデオを見て、彼の言ってることはわかりやすい、と喜んでいました。
Nothing in the Middle - 真ん中、中心には何も無い、という題名からは、有名な玉ねぎの例えを思い出します。
”玉ねぎを剥き続けると、最後には何も残らない” 玉ねぎの芯は空っぽである、というやつです。
ジョーイのメッセージは、探求にまつわる幻想の皮を、一枚、一枚、剥がしていくようなものです。
”どこかに隠された、特別な秘密の手法があるなんてウソだよ”
”本当の先生を見つけたら、真理にたどり着けるなんでウソだよ”
そして何よりも、
”探さないとみつからない、なんて大ウソなんだよ”
めくってごらん。ゆるんでごらん。どこを探しても、今、ここに、目の前にあるものだけがすべてなんだってことが、この瞬間にわかるよ。
ウソや幻想の皮をはがすと同時に、ジョーイは常に玉ねぎの”芯”を示し続けます。全部剥き終わるまで待つ必要はない、芯にあるものは、すべてに満ちている、ということを一貫して伝えます。
そういう意味で、『これのこと』というヒロさんの命名は、最適だなぁ、と思います。それだけが、彼の視線が向かうところだからです。それだけが、彼に見えているものだからです。
ヒロさんのブログで訳を読んで、その絶妙さに舌を巻いていたのですが(ジョーイが日本語をしゃべったら絶対こんな感じ!と思いました)、書き手の視線を捉えて、最も適切な訳をしてくれる人に出会えて、ジョーイもラッキーだな、と思います。
広く、たくさんの人に楽しんでもらえたらな、と、思う本です。自分の本では無いけれど(笑)。こんなメッセージが日本でどんな風に受け入れられるのか、楽しみに思います。
あえて一つだけ言うなら・・・個人的にはもっと大きなフォントが好きかな(笑)。単に私の老眼のせいです。
でもそうしたら、絶対最低でも2冊になったはずの本で、そこがヒロさんの気前の良さというか、読者思いなところというか・・・
大変お徳な本です(笑)。
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