2015年4月3日金曜日

ふと触れるもののすべてに

ようやく!臨時のアパートが決まりました。

これから7−9ヶ月、ここに落ち着くことになりました。たった3階なんですけど、丘の上に建っているので、すごく見晴らしがいいです。

たった3階なんですけど・・・今回の引っ越しはハードでしたっ!いやもう、平屋に暮らして、車で移動するだけの怠惰な暮らしに慣れきっていたので、荷物を抱えての階段の上がり下りは、日本帰国前のいいリハビリになっています。

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今日は、ちっちゃなメモを。

私が長年行っている瞑想では、”賞賛(Praise)”というのが最初のテクニックの基本になっています。日本語でも英語でも、大仰な響きがする言葉ですが、実際のところはsimple appreciation、ただ単純に物事を味わう、ということです。

長い間、それは物事を褒める気持ちを持つことだと思い込んでいました。前向きに物事を捉える姿勢=感情を持たなくてはいけないと思って、そんな必要ないと言われても、どこかで前向きな感情を作り出し、盛り上げようと無用な努力をしたりしていました。

そうではなかったんだ、ということは、あるとき自然に示されました。

”ああ・・・”と思いました。

それから時間がたつうちに、日常の中で、意識がいつも触れるものすべてにハッとしていることに気がつきました。

最初は特定のもの・・・自然とか、きれいな景色とか、奇麗な人とかに反応しているのだと思っていたのですが、そうではなく、意識は目にするもの、耳に聞こえるもの、触れるものすべてに、いつも微妙にハッとしているのだ、ということに最近気がつきました。

いつも、すべてにハッとしている・・・
ときめいている、とか言うとちょっとまだ大げさですが、でも、静かに、微妙に・・・ときめくような感じかな。

意識には”お馴染みの物”など存在しないようです。
すべては常に新しく、新鮮で、ハッとするものなんです。

でもそこにはなんら、大げさな感情はありません。フワフワ、いつもハッピーで、なんていうことではありません。

ただ、静かに気づいてハッとして、そうやってすべてを、ただありのままにありがたんでいるのだと、気がつきました。

ジェニファー・マシューズの、すべてのものが「こんにちわ!」と語りかけている、という言葉を思い出しました。すべてのものが語りかけていて、意識はそれに応えている。同じものからできていながら、違う表現をしあっている、そのゲームを一緒に楽しんでいる・・・そんな感じでしょうか。