2015年1月7日水曜日

今頃ダグラス・ハーディング

年末のポストと前回のポスト・・・それぞれ翌日読み直して、そのひどさに我ながら仰天しました。気持ちはあっても頭が働いてなかったのがよくわかる。他のポストの文章がきちんとしている、というわけではありませんが、それにしても・・・読んで下さった皆様、大変失礼いたしましたm(_ _)m。(どちらも微妙に修正しましたが、もう一度読んで下さい、とお願いするほどの内容ではございません。)引き続き、家の修繕、引っ越し準備等々に明け暮れておりますので、疲れがにじむ文になるかもしれませんが、よろしくお付き合い下さい。
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J. C.アンバーシェルのせいで(おかげで(^^;))、ダグラス・ハーディングを今頃再発見してしまいました。ダグラス・ハーディングについては12-3年前から知っていたのですが、何度手に取ってみてもピンとくるものがなく、読まずに棚に戻す、ビデオも途中でやめる、といったことを繰り返していました。なぜカーリーの推薦図書にダグラスの本がいつも含まれているのか、まったくわかりませんでした。

今見て思うのは、ダグラスが”特別な雰囲気”を醸してなかったためだと思います。前にちょっと書きましたが、私は目覚めた人というのは特別な雰囲気を持っているものだと思い込んでいました。神秘的な沈黙であるとか、カリスマ性とかいうものと、本当の現実を知っている、ということを混同していたので、ごく普通の風貌で、ひょうひょうとおかしな”実験”について語る彼には、興味を引かれなかったわけです。

もちろん、ビデオでは伝わらないものがたくさんありますから(私はトニー・パーソンズは、ビデオと実物では随分感じが違うと思いました)、実際に会う機会があったら、また印象が全然変わっていたかもしれません。

また彼のdetermination―突き詰め方が、悟りを雰囲気として捉え、なんとなくそれを追っかけていただけの私には入って行けなかったんだな、と思います。早く特別な人になりたかっただけで、本当のことを突き詰めたい、などとは思ってなかったので。

今見ると、その突き詰め方にとてつもない尊敬の念が湧きます。どこもかしこも、周り中の何もかも、どれ一つ人から聞いたこと、教わったことを当たり前とせず、確かめまくったその集中力と情熱、純粋さに頭が下がります。

自分とは何かを知るのに、神秘的な要素など一切必要ないのだ、ということをこれだけ明らかに示してくれているのは、本当にありがたいことだなぁ、と深い感謝がわきます。