自分同様、突然このような体験に見舞われた人に、なんらかの理解の助け、道しるべを残してあげたい―そのような思いを持って書かれたのが最初の本です。その後彼女は、自己の喪失に至る過程について段階的に説明する本(The Path to No-Self、邦題『神はいずこに』)を書き、さらに”自己とは何か”をテーマにした本(What is Self?)を書きました。
その後も数冊の本を自費出版し、また非常に限られた形でですが、セミナーも行っています。私が彼女について知ったときには、最初の頃のテーマ、自己とは何か、自己が無くなるに至る過程について(より正確には、人が自己を通して神、もしくはすべてなるものを知り、そこへ帰る過程について)のセミナーは終了していましたが、その内容はビデオに収録され、今も販売されています。
バーナデットの表現は非常にユニークです。セミナーでも手作りの教材をたくさん使いますが、もと小学校の先生だったのがよくわかる、かわいい教材がたくさんあります。
A Passage Through Selfと題されたこのビデオの中では、かわいい教材は使われていませんし、壁には十字架がかかっていますし、バーナデットの服装はまた独特で、多くの方はそれだけで引くかもしれませんが、内容は秀逸です(笑)。そのごくごく、ほんの一部をものすごくかいつまんだ形でご紹介しますと・・・
バーナデットは意識=自己である、と言います。彼女は意識を円という形で表現します。
意識には二つの次元があります。一つ目の次元は”知っている”という次元です。
意識は常に前屈みになって自分を見つめています。主体としての自己が、自らを客体として眺めています。それによって”自分”が存在することを知っています。自己、というのは人の最も直接的な体験です。
なるほどどおりで、私の興味はいつも”私〜 わたし〜”なわけだな、と思ったりもしますし、もうちょっと繊細なレベルで、常に自分の輪郭の認識がそこにあるのも、”自己”というものがある以上当然なのだな、と納得したりします。
意識の二つ目の次元は、”感じる”という次元です。そしてこれは反射的な機能です。
彼女は、意識は神(すべての存在の源、エネルギー、表現はなんでもいいですが、彼女は神という表現を使っています)の上に被せられた、薄いベールのようなものであると言います。
そしてこの意識には、中心点があります。
この中心点は実際には小さな穴で、ここを通してその向こう側=神を認識することができます。
神、あるいはすべての存在の源は、”すべて”なので、そのままでは認識することができません。あまりに壮大で、つかみようがないからです。しかしそれが覆われ、さらに小さな穴があることによって、”焦点”が作り出されます。この焦点に集中することで、神を認識することが可能になるわけです。
多くの人が最初は自分の内を見つめることで神なり、すべての本質なりを見つけ出すのはそのためで、やがてそれが本当に、あたり中にあること、すべてであることを見いだすまで、この自分の一番深い部分で神を認識するのだといいます。
というのは、本当にごく一部の、ものすごい短縮版の紹介ですが、興味のある方はこちらからビデオを購入できます(今見たら私が買ったものと長さが違う・・・作り直したのか聞いてみなくては!)。残念ながら英語のみとなります。
さて、長々とバーナデットの紹介をするに至ったのは、最近気づいたことについて書きたかったからなのですが、長くなったので今日はさすがにここまでとします。