2014年10月5日日曜日

わかってないのに知っている、という不思議

私の師カーリーは、”存在している唯一のもの”に私たちの意識を向けること、それだけを教えます。この、人に教えることが不可能なもの、自分で思い出すことしかできないことについて、”ここにあるでしょ?自分で見てごらん。”と指し示し続けます。

私が最初に彼女に出会ったときからそうでした。
”ここにあるでしょ。わかっているでしょう?”

そう言ってじっと目を覗き込まれると、分からなくちゃいけない、正しい答えを見つけなくてはいけないと思って、ハラハラすることが何度も何度もありました。

正直、彼女が何をさしているのか、何年間もの間まったくわかりませんでした。
それなのに、”これ、から離れて存在してるものがある?”と聞かれて、じっと自問してみると・・・正しい答えを見つけないと、という焦りやパニッックを通りぬけ・・・「ない」ということがはっきりしていました。

それは本当におかしな感じでした。頭ではわからないのに、どこかでその答えをはっきりと、疑い得ないこととして知っている。

もちろん、いつでもこの知っている感覚が起きたわけではありません。彼女によく思われたくて、あるいはそれが正しい答えのはずだからと思って『ない』と答えたこともあります。

私にとってはすごく重要なことに思われた、人生のドラマについて相談してるのに、それについてのアドバイスでなく、”ここにあるもの”に意識を向けろ、と言われてイライラしたことも何度もあります(笑)。

たまたま意識が同調して、私の抱えていた問題やドラマが、唯一存在するものの中に消え去って行く経験をして、興奮したこともあります。

それらすべての経験を報告するたび、彼女に尋ねられました。
”それで、今はどう?今この瞬間に、それはここにある?”

色々な知識を積んだら、いつかわかることではない。
私の内面がもっと浄化されたら、見えるようになるんでもない。
昨日の瞑想のときに経験した神秘体験の記憶の話ではない。

”もし、今この瞬間、ここにないのなら、それは本物ではない。”

これは私にとって、とてもいい指標になっています。