デービッド・ホーキンズは、私が一時期大はまりした人の一人です。ただし、宇宙科学者のホーキング博士ではありません(ホーキング博士もすごく尊敬していますが)。”Power vs. Force”(パワーか、フォースか)の著者、デービッド・R・ホーキンズです。私は敬愛を込めて、ホーキンズ先生と呼んでいます。
ホーキンズ先生は2012年に亡くなりましたが、私は2009年にセミナーで一度だけ会うことができました。ちっちゃくて、か細くて、深い声が印象深い、とてもお茶目なおじいさんでした。私も主人も、会場を満たしたホーキンズ先生の愛の空気に包まれてぼーっとなり、講演の内容はあまり記憶にないほどです。
彼の提唱するキネジオロジーを使って所有していた本の意識の高さをはかり、トニー・パーソンズの本を再発見した結果、ホーキンズ先生の講演記録を聞けなくなってしまった、というのはなんともおかしな、馬鹿げた話しなんですけれど・・・。
ホーキンズ先生の話は神秘体験に満ち満ちていて、スピリチュアリティのあらゆる愛と夢の幻想に満ちています。高次元の存在、天使、過去生、体外離脱、等々。いかに自分を高めて行くか、エゴを昇華し、神に自分を捧げるか―話しを聞いていると、献身への情熱に駆り立てられます。同時に、私の中にはえもいわれぬ不安が湧いてもいました。
この不安感というか違和感はとても微妙なもので、自分でもはっきりと認識できずにいたのですが、トニー・パーソンズの、”神も天使もいない、あるのはここにあるもの、それだけだ”というメッセージを読んで深い安堵感に包まれ、それまで密かに感じていた不安や違和感がなんだったのか、はっきりしました。
きらびやかな愛と神秘の体験を聞いていると、同じ経験を持っていない自分は、高次の愛に足りていない、という不安感が起きるんです。そこにはまだまだすべき体験、修行、もろもろの長い道のりがあり、途中には避けるべき暗い低次元の存在の誘惑や、チャレンジが待ち受けている、という印象を受けてしまうのです。
そういった意味で横道に逸れるというか、誤解しやすい要素は多いのですが、私はホーキンズ先生の功績は素晴らしいものがあると思っています。
最近、ホーキンズ先生の『I (私)』という本が増刷されたので、この機会に少し、ホーキンズ先生から学んだことについてお話したいと思っています。
ちなみにこの本は私の古いお友達、立花ありみさんが訳しています。立花さんはなんとも心のきれいな人で、翻訳もその人格がそのまま出ているというか・・・まっすぐな訳は、アカデミックなこの本にぴったりだと思います。(よくこれだけの本を訳したなぁ、と尊敬します。)