2014年10月9日木曜日

On the road

イシャヤのアセンションコースのため、インディアナ州まで行ってきます。
しばし、お休みさせて頂きます。






   

2014年10月8日水曜日

守れるものなどなにもない

私がスピリッチュアリティと呼ばれるものを通して手に入れたかったのは、『絶対に安全な砦』です。

”外側でどんな危険なことがおきても、私はここにいるから平気。絶対に脅かされることはない”、という場所。求めていたのは究極の安心感と保証です。

瞑想したら、不動の自分、ゆるがない心の平安が手に入る。
真理を知ったら、二度と混乱せず、いつでも正しい最善の答えがわかるようになる。

要は、傷つくのが嫌、不快な感覚をすべて遠ざけて、好きな物だけで身の回りを固めたかったんです。あたりには、”こうやったらそれが手に入るよ”、とうたうセミナーや本がたくさんありました。

物事の本質を垣間みたとき、”ここに存在するのはたった一つ”、すなわち、秘密にできることなど何もなく、引ける境界線などなく、砦を作ることなどできない、とわかって愕然としました。

よく使われる例えですが、世の中に存在するすべての”形ある物”は”私”も含めて、本当に、命の大海に起きる波のようなものです。波である私の周りに砦を作ることなど、できるはずがありません(_ _;) 波はいつも動いていますし、そもそも、どうやって海や他の波との境を決めることができるでしょうか。

ということは、周囲から自分を切り離して安全な場所に逃げ込むなどありえない・・・命はすべてをありのままに含む。すべてといったらすべて、です。ありのまま、というのは、本当にあるがまま、です。混乱も、みじめさも、迷いも、怒りも、喜びや至福、愛情とすべて同じく含まれるのです。

守れるものなど、何一つありません。
起きて来ることはただ起きていて、私たちは否応なく、そのすべてとつながっているからです。それが好みにあっていようとなかろうと。

さて、思ってたのと全然違うけど、本当にこんなもんが欲しいのだろうか・・・

と、思った時は手遅れでした。消去ボタンを押しても、記憶から消えない。見なかったふりをするには、はっきり見すぎてしまった。だけど、『好き・嫌い』とか『いい・悪い』という思い込みは自分の中にしっかり残ってる。嫌いなものへの抵抗も、しっかり残ってる・・・よくパニックを起こして、無意識に幻の安全な砦を探し、無い物を探すことで余計に苦しみを増していました。

”唯一の現実”、が何度も、色んな形で明らかになっていくにつれ、好き・嫌いを問題視することがなくなっていました。ただ、これは自分の力の及ぶところではないので、いつどんなところで、ふいにまた同じ反応が起きないとは限らない、そしてそれは、起きて見るまでわからない、といった感じです。

2014年10月6日月曜日

私とイシャヤのアセンション

私はここ15年間の探求を、イシャヤのアセンションと呼ばれる瞑想法とともに歩んできました。

イシャヤのアセンションは、私にとってとても不思議なものです。他のすべてのものと違い、私が追い求めた、というより、偶然や事故の連続でどんどん深く入って行ったような感じがあります(笑)。そのためにアメリカまでやってきました。

この15年の間には、『これは素晴らしい、世の中の人すべてが学ぶべきだ!』、『なによ、なんの効果もないじゃない』、『どうしてこんなことやってんのかしら?』、『やっぱりこれって素晴らしいわ』等々、様々な波を経験しました。U.G.クリシュナムルティやジェッド・マッケナの本に出会って、瞑想なんかやってもなんの意味もないのよ、とやめた時期もあります。

それでも、繰り返し戻って行き、昨年教師になるにまで至りました。

イシャヤのアセンションに関しては、私はどうも、いつも、頭で思っているのと全然違う行動を取ってしまうように思えます。頭は常にやめる理由を見つけ、続けるには、それを正当化できる理由を探さなくてはならない、と騒ぎます。

非二次元は特にいい材料でした。非二次元のメッセージを真に理解するなら、瞑想するのは矛盾している、と頭の中の声は大騒ぎ。しかし実際はというと、ただ規則的に、淡々と瞑想している自分がいる。

ある時点で、”ああ、これは私というこの個体に、ただ自然に起きてることなんだな”、と気づいて、抵抗が止みました。何かのためではなく、ただやっていること。

そして頭が猛反対していても、大賛成していても、それにまったく関係なく続けることができる、この瞑想の無理のなさ、自然さに改めて感心しました。

努力のいらない瞑想法です。これについてはまた、別に書きたいと思います。

2014年10月5日日曜日

わかってないのに知っている、という不思議

私の師カーリーは、”存在している唯一のもの”に私たちの意識を向けること、それだけを教えます。この、人に教えることが不可能なもの、自分で思い出すことしかできないことについて、”ここにあるでしょ?自分で見てごらん。”と指し示し続けます。

私が最初に彼女に出会ったときからそうでした。
”ここにあるでしょ。わかっているでしょう?”

そう言ってじっと目を覗き込まれると、分からなくちゃいけない、正しい答えを見つけなくてはいけないと思って、ハラハラすることが何度も何度もありました。

正直、彼女が何をさしているのか、何年間もの間まったくわかりませんでした。
それなのに、”これ、から離れて存在してるものがある?”と聞かれて、じっと自問してみると・・・正しい答えを見つけないと、という焦りやパニッックを通りぬけ・・・「ない」ということがはっきりしていました。

それは本当におかしな感じでした。頭ではわからないのに、どこかでその答えをはっきりと、疑い得ないこととして知っている。

もちろん、いつでもこの知っている感覚が起きたわけではありません。彼女によく思われたくて、あるいはそれが正しい答えのはずだからと思って『ない』と答えたこともあります。

私にとってはすごく重要なことに思われた、人生のドラマについて相談してるのに、それについてのアドバイスでなく、”ここにあるもの”に意識を向けろ、と言われてイライラしたことも何度もあります(笑)。

たまたま意識が同調して、私の抱えていた問題やドラマが、唯一存在するものの中に消え去って行く経験をして、興奮したこともあります。

それらすべての経験を報告するたび、彼女に尋ねられました。
”それで、今はどう?今この瞬間に、それはここにある?”

色々な知識を積んだら、いつかわかることではない。
私の内面がもっと浄化されたら、見えるようになるんでもない。
昨日の瞑想のときに経験した神秘体験の記憶の話ではない。

”もし、今この瞬間、ここにないのなら、それは本物ではない。”

これは私にとって、とてもいい指標になっています。

2014年10月3日金曜日

わかっていない

トニー・パーソンズという、非二次元のメッセージを伝える人がいます。彼のメッセージをよくわかっておられる(と、私には見える)方が、”ぼくは未だにトニーの言うことの意味はほとんどわかっていませんが”、と書いておられるのを読んだ時、ふと、”私はいつでもすぐ、”わかった!”、って言おうとして先走っていたなぁ”、と思いました。

察しがいい、頭の回転が早い、などと褒められることが嬉しくて、もっと褒められるべく、”先生!できました!”、”はい!わかりました!”、と素早く手を上げる小学生のノリで、人生のほとんどを生きてきたように思います。

人の話を聞いていても、すぐに”ああー、わかる、わかる〜”、などと相手の言おうとしていることを先取りする。本を読んでもきっとこういうことを言いたいんだろう、と話の顛末・結論を先読みしながら読んでいる。

その結果、答えらしきものの周りにある、多くの大事な情報を取りこぼしました(_ _;)

ここ数年は、”わかった”、と思ったこと、”わかってる”、と思っていたことが実は間違っていた、という発見の繰り返しです。そして”それ”―すべての物が存在するのを可能にしているもの―に再び気づいたとき・・・自分というものが消えて、”それ”しか存在していない、という現実が意識に止まってから、わかる、ということが色んな意味で不可能だと思うようになりました。

一瞬のひらめきを得ることはあります。深い理解を得る瞬間はあります。ただ、その理解はその瞬間のものであって、固めて取っておくことができないのです。わかったものは、するりと、次の瞬間にはすり抜けていきます。

それを忘れて”わかった”、”私はわかっている”と信じる時、自分のどこかに、なんともいえない微妙な不安感がわくのに気づきます。

だからと言って、”わかった”という言葉を使わない、ということではありませんが。

”自分はわかっていない”、という中には、自由さがあります。


2014年10月1日水曜日

ジェニファー・マシューズのたった一冊の本

前にジョーイ・ロットについてのポストでも書きましたが、私は翻訳家、古閑博丈さんのブログの大ファンです。ヒロさんのお勧めのビデオや本を、時折チェックしてみたりします。

ジェニファー・マシューズの本も、その中の一冊でした。ジェニファーについてはまったく知らなかったのですが、ヒロさんの書評にそそられて買ってみました。そして、その素朴で優しい語り口、明晰な表現に恋に落ちました。

”ねぇ、私たちは自分がこういうもの、現実はこういうものって思ってるけど、実はどう?手に取って、こんな風に眺めてみたら、どう見える?”と優しく、ユーモラスな口調で語りかけてきます。

トニー・パーソンズは、『私たちの周りにあるすべてのものが、私たちが探しているものそのものであり、”私はここにいるよ!”と、常に私たちに呼びかけている』と言いますが、ジェニファーの本を読んで、初めて彼の言っていたことがピンときました。

この本は、『ただそのままでいるための超簡約指南』という題で10月9日に発売されます。古閑博丈さん訳です。

ジェニファーは大学で哲学、神学を専攻した人で、ホームレスシェルターでカウンセラーとして働いており、そこで瞑想も教えているそうです。娘さんに捧げる、としたこの一冊だけを出版し、セミナーやミーティング等は行っていません。

隠された小さな、宝石のような本です。

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