と言ったのは、私の師カーリーでしたが、もちろん彼女のオリジナルではありません。
数々のスピリチュアルな有名どころが似たようなことを言っています。
なんでこうなったの?
どうしてあの人(私)ってこうなの?
なんでこんなことが起きるの?
こういった問いの行き先は・・・・
ぐ〜るぐる〜
思考のらせん階段を昇ったり降りたり。
出口のないままにぐ〜るぐる。
ここでじっと、ぐるぐるするままであれる、
というようなラッキーな事のなりゆきが起きた場合には、
自然に、それと気がつくと、ぐるぐるが終わっていることに気づきます。
問いもぐるぐるも自然消滅。
”なんで?どうして?”に
エネルギーを注ぎ続けることが起きた場合には・・・
写真 http://gigazine.net/news/20080702_tired_cat/ |
限りない’疲れ’が待っています。
私の経験上、もちっとよろしくなかったのは、むしろ”答えが見つかった”場合。
どうしても答えが欲しいから、
”なぜ?どうして?”の答えが見つかれば、解決策が見つかって、
未来の防護策になると思っていたから、
どうしようもなく常に安心していたかったから、
答えらしきものにすぐに飛びつく、ということがよく起きました。
そして満足 - するのは一瞬。
得意気に新しい答えを掲げ、それにすがって生きていると、
どこかで必ず
誰かが、何かがやってきて、
その答えは間違っている、といいます。
あるいはよそに、”もっと正しそうな”答えが見えて、
「あれ?やばい。乗り換えなくちゃっ」
というようなことが起きます。
そうして結局
繰り返した挙句は
ここまで行けば、どうにもあきらめるしかない、という事態が無選択に起きるのですが、
http://alleycat1970.blogspot.com/2014_03_01_archive.html |
下手に体力が、しぶとさがあるがゆえにだらだらとした疲れが続き
非常に、慢性的に疲れました。
答えがある、とおもってたんだもんなぁ、
こたえなどない、といわれても、
みつかるとおもってたんだもんなぁ
こたえがない、というこたえがみつかる、とすら、
おもってたんだから、。。。すごい。
あら?気がついたら、前回と内容が被ってましたね。
ははは。