2015年7月14日火曜日

わからないままでいられること


夕焼けのように見える朝焼けー

2−3週間くらい前かな?それこそ唐突にジョーイ・ロットの"Don't Change A Thing"を読んでしまいました。なにかおかしいな、とひっかかることがあったところに、Facebookでいつものようにジョーイが、99セント(約100円)サービスの宣伝をしていたのが目に付いたからです。

2週間以上たった今となっては、恐ろしいことに、一言も内容を思い出せないのだけれど、すごくよかった(^^; こんな言い方じゃ誰も信じない?)とても助けになったのだけはしっかり印象に残っています。

そこへもってきて、ジョーイがここ最近ブログをつぎつぎとアップするもんだから、なんとなくそれも目について・・・

一番最近のブログ(ちんたら書いてるうちに、次のブログがアップされてしまいました)が、またとてもよかった。


『”探求”という行為は、”わかることができる”ということを前提にしている。またわかろうとすること、理解しようとすることは、いいこととされがちだけど、苦しみから逃れたい、というのが強い動機になっている。』


理解しようとする行為は、わかることができる、という推測を前提に成り立っている・・・

どこかに到着点があることが前提になっている。

今目の前に起きていることは納得がいかないけど、どこかにちゃんと解決策がある。

辿りついたらもう安心、ちゃんちゃん! −という地点があって、とにかくそこへたどり着くために、ひたすらに、やみくもに探し求める。

「そんなの全然あたらしくないよー、前にも他の誰かが言ってたよ。」

と言われるかもしれませんが、改めてなるほど、と思いました。

”わかることができる”という刷り込みはそうとう深く、それが苦しみを生んでいる、ということに気づいたところだったからかもしれません。

あれ?ジョーイ読んで気づいたんだったかな?・・・