『あの方は栄え、私は衰えなければならない』というのは、ヨハネという個人の、イエスという個人に向けた言葉であるとされています。通常はヨハネの謙虚さが語られるところです。
私は数年前に、この言葉の違う解釈に出会いました。
『一度”それ”に気づいたら、それをじっと見つめ続けるのよ』
と、私の先生は言いました。そしてそれに続けて、
『真なるものが姿をあらわにするには、偽なるものが消えなくてはならない。He must increase, I must decrease - 』
それが聖書の引用であることは、なんとなく察しがついたのですが、言葉のインパクトを実際に感じたのは、それからまたずっと後のことです。
と、いうか、つい最近?(^^)
”私”が消えるほどに、”それ”があらわになる 。
must, ”〜なくてはならない”、という言葉は、個としての自分、”私”が努力することと思わせます。しかし・・・”私”に”私”は消せない、減らせない。無理、無理。
”それ”、あるいは”これ”に到達しよう、とか、それを本当にわかろう、とかする努力のすべてが、逆に”私”を顕在化します。
ほんのささやかな努力も、意思も、 意図も、”私”という緊張を維持します。
と、わかるだけで、どんどんと、どんどんと、ハラハラと、力が抜けていきます。
昔は覚悟すること、というのは、力強く立ち向かうことのように思っていましたが、今の私にある覚悟といえば、”負け続ける”ことへの覚悟しかありません。
わからないままで
”私”がいるままで
どんなことも、それより1秒早くも、1秒遅くも起きなくて
”それ”、”これ”を見つめようとすることすらあきらめて、へなへなと、打たれっぱなしになる・・・
と、
この、なにか、が、圧倒的にそこいら中に満ちているのが。。。