私が住んでいるのは、アメリカ南部のあまり大きくない街ですが、それでも人種がものすごく多様です。
ショッピングモールなどで立ち止まっていると、目の前をめちゃくちゃ背の高い人、ものすごく低い人、白人、黒人、ヒスパニック、アジア人、各種様々なミックスと、バラエティに富んだ人々が通過していきます。大人、子供、ティーン、老人、男性、女性、どっちともわからない人・・・膨らし粉を飲んだように太った人もいれば、骨と皮ばかりに痩せている人もいます。ファッションも誰一人として同じではありません。真冬にタンクトップを着ている人もいれば、厚手のコートに身を包んでいる人もいる、というのがアメリカです。
誰一人として同じ人はいません。
昔は目につく人すべてに、”あの人太りすぎ。どうやったらあんなに太れるの?”とか、”わー、肌が奇麗”とか、常に批評・批判が自動的に湧いて頭が忙しかったのが、今は誰一人として同じでないことの神秘と、そのすごさに静かに圧倒されながら立っていたりします。
昔はこういう美に気づくと、恍惚感に襲われ、他の何もが手につかないような気がすることがよくあって、それが起きたり消えたりした後の、日常の感覚との落差に戸惑ったりしたのですが、次第にそういう経験に慣れ、特別感も、落差もあまり感じません。ただ当たり前の奇跡に、静かに打たれながら立っています。
女性、男性、といった分類も頭から剥がれ落ち、自分が何を見ているのかすら、わからないような気がします。たくさんの、不思議なものが目の前をめまぐるしく通過していきます。
当たり前の奇跡が、目の前にあふれています。