2015年6月22日月曜日

層 layer - part 1

前回のポストで、ゆりさんのtwitterを紹介させて頂いたのですが、リンクをつけ忘れてしまいまして・・・(_ _;) 数日たって気がついてリンクを貼ったのですが、念のためここに再度。”おかえりミミコ”。

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数ヶ月前に書いて、投稿せずにいた記事です。


あ、という気づきがあっても、それは時間とともに去って行って(どんなに深い気づきと思えたことでも、例外がありません)、自分がまたどこにいるのかわからなくなります。
そしてしばらくすると、また”もう学び終えた”と思ったことが、深いレベルで沸き上がって来る。前よりもっと、根深い部分が沸き上がって来る。

それをまた見る。

単純なことが、すべてものすごく根深かったりすることに気づいたりします。そして気づきと、それに伴うちょっとした嵐をまたじっと見る。

UGは”どんなささやかな、ちょっとした努力も、自然の流れの純粋さをけがすものだ”とあちこちで言っていました。
アディヤは真の瞑想は、まずすべてをありのままにすることからはじまる、と言いました。

物事をありのままにしておけるようになるには、相当な勇気がいりました。見たくないものが見えても動かない。起きて欲しくない感情が起きても動かない。何かしなくちゃ、早く直さなくちゃ、とか、早く楽になりたいとか、そのすべてをただ見つめるだけで何もしない・・・

平気でいれること。それにはすごく勇気がいりました。だんだん、だんだん平気でいれるようになって、それにつれて見えてくるもの、湧いて来るものがあります。

触ってしまうと、”私”の意図がかかると、全体像が見えません。すべてをありのままにしたら、そこにあるのは何だろう。

ここにあるのは何だろう。

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