私の家の近所には山があり、滝があります。
3年住んで初めて滝が実際にあることに気づき(名前だけだと思っていました)、探索してみました。写真は滝の始まる地点です。
下を見下ろすと・・・
膝をついて覗き込んでも足がガクガクします。
滝が落ちる下の地点を目指しましたが、道がない。。。。
獣道を歩きながら、人の手がついていない森というのは、木のお墓でもあるんだということに今更気づきました。
・・・なんて、ハイキングとはまったく無縁に育った私が獣道を楽しく歩くようになるなんて、思ってもみませんでした。
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かつて私の人生はまとまっていました。
たくさんの嵐を経験した後、そういった嵐から抜け出して平凡・平和な毎日を過ごしたいと願いました。願いはかなってドラマは減って、ずいぶんまとまった人生になりました。
毎日が予想通りに過ぎていき、人生は固まっていて、どこかわからないけれどお決まりの先に向かって漫然と進んでいる、そんな感じがありました。
20代というのはこういうもので、25を過ぎたら女性の人生はこうで、30を過ぎたらこうで・・・
何かを成し遂げようと必死になって走っていた頃と違って安全な毎日になりましたが、自分の一部はすでに死んでしまっているかのような感覚があり、根底にくすぶる不幸感、不満足感を漫画やら友人とのお出かけやらで無理やり持ち上げているような、そんな感覚の毎日でした。
ニューエイジの本に出会って、人生には何かそれ以上のものがある、というアイデアを再発見しますが、色々なセミナーに参加しても何を買っても、根底にくすぶる不幸感は変わりませんでした。
アセンションに出会って、私の人生は一変しました。
それまでの固まった感じから急に、 "you never know" 、何が起きるかさっぱりわからない、に変わりました。
一寸先がわからない人生になったら、人生に生気が戻ってきました。
何が嬉しいのかわからない、どうしてこれがそんなに楽しいのかわからないけど楽しい、嬉しい、そんな毎瞬に変わっていきました。
30代も半ばになって、知り合いもろくにいないアメリカに渡ることになるなどとは思ってもみませんでしたし、アメリカにきてからも、人生でこんな仕事をすることになるなどとは思ってもみなかった、こんなことが起きるとは、の連続でした。
だいたいアセンションそのものが、いつも私の期待や、思っていたのと違う方向にばかり行っていました。頑張ろうと思うと願った結果がまったく現れない。こんなもんもうやめよう、と思ったのに続けて、絶対行かないと思っていた頃に教師養成コースに行くことになり・・・
悟り、というのが私の思っていたものとまったく違うものだった、というのをはっきり示してくれたのがアセンションです。
本当の意味での意識の成長は、”自分”の思いや”自分”の知識の枠の中で起きるはずなどないのだ、という当たり前にしてエゴにはまったく理解できないことを、実体験を通して学びました。
アセンション、というのは上昇とか、超える、という意味です。
マインドの型から飛び出す、という意味で名付けられています。
長い年月をかけて一生懸命培ってきた”私”。
うまく機能してもしなくても、たとえちょっと不幸でも、それがたった一つ、自分が持っていたものでした。そこから完全に離れて生きるなど、想像だにできませんでした。
すべての源なるものは、”私”を優しく、あるがままに含みます。
そんなもんどけろ、とか無くせ、などとは言いません。”私”という豊かな経験を可能にしているのは、まさにそれそのものです。
”私”だけが、あれはいい、これはだめ、と言い続けます。
本当のところはわかってないけど、意見はたくさん言います。
限られた”私”に、無限のものが理解できるはずはありません。
だから手を離して、起きてくることに驚いたり喜んだり、ときには悲しんだりしながら、毎瞬間をアセンションしつつ生きています。
人生に感謝しています。
その不思議さに、つかめなさに茫然としつつ、深く感謝しています。
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