”....禅や他系統の人々はこの点に関して話しはするが、大抵の場合、
重度の精神衰弱はスピリチュアルな教えの大きなセールスポイントではない。
皆完全な知識、苦しみからの完全な解放その他といった
美味しいものはすべて欲しがるが、誰も代金は払いたがらない。
ジュリーが今いる地点こそがその代価、もしくは、いずれにせよその始まりである。
(目覚めとは)血まみれの混乱、というのが単純な事実であり、
愛・至福系の人々は参加登録しないのだ。
彼らは、立ち泳ぎ仲間の間で
居場所を失わないで済む悟りが欲しいのだ。
手足をばたつかせるのをやめたくないのだ。
一人で暗闇に滑り込みたくないのだ。
彼らが欲しいのは別の悟り、
グループにとどまり、注意深く作り上げた人格を維持して
ただ幸せになりたいのだ。
できることなら本当に本当に本当に幸せに。
自分も隣の男性と同じように幸せが好きだが、
幸せは私たちを真理の探求に送り込んだりしない。
それはやってくるのが天国であろうと地獄であろうと、
代価に糸目をつけず嘘であることを止めようとする、
猛烈で熱狂的、激しい狂気なのだ。
(目覚めは)高次の意識とか、自己発見とか地上における天国とかいった話ではない。
これは血がこびりついた刀、朽ちかけたブッダの頭、そして自己犠牲といった話であり、
そうではないという人は皆、
自分が持ってもいない何かを売っているのだ。”
ジェッド・マッケナ『Spiritual Enlightenment The Damnedest Thing』
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6ヶ月に及ぶ教師養成コースが終了しました。この半年間はコースを中心にした
生活でしたが、これで一息です。
”瞑想”という穏やかなイメージとは裏腹に、
自分の中からも外からも、何が本当か本当でないのか、引っ掻き回し、
すべてを取り出し、投げ出して見直していくという、容赦ない作業を続けた
参加者のすべてに、深い敬意を感じています。
”こんなに大変だなんて、誰も先に教えてくれなかったじゃない!”
と叫んだ子もいましたし、
”長い間みんなを心の中で批判し続けてきて、今やっと、自分が何を
してきたか、いかにわかってなかったか気づいたの。
ごめんなさい。自分が何してるか、まったくわかってなかったの。
こんなに長くかかってごめんなさい。”
と涙を流した人もいました。
否応無くそうせざるを得なかった、というのが現状ですが、
自分のすべてをさらけ続けたみんなに、深い感謝を感じています。
事実を言えば、参加者の誰もが、愛と至福、より良い自分を求めて
コースに参加したと思います。
自分のちょっと不都合でうまく機能してない部分を補正して、
ずっと楽な人生を歩んでいけると思ってたと思います。
”それ”を知る、思い出す、ということが、機能不全でありながらも
長く慣れ親しんだ自分の全てを捨てることであるとは、誰も、
聞いていても理解できないことであり、誰もが、期待していたこととは
まったく違ったと言います。
そうして、それぞれが新しい一歩を踏み出します。