2016年8月19日金曜日

まっすぐで、透明な(1)

我が師カーリーが主宰する各種コースに参加すると、この瞑想を通して知り合った友人たちにあちこちで、様々なタイミングで再会します。先週末は”愛の出し惜しみ”で書いた友人に、久しぶりに会えました。

この瞑想を通して、これまで素晴らしい人達に出会ってきましたが、彼女は私の中でちょっと特別な位置を占めています。

私の知る友人たちの中で、彼女は私にとって最も透明な人であり、最も真実を生きている人です。

初めて出会った8年前は、彼女のことをこんな風に思う日が来るなどとは、それこそ思いもよりませんでしたが(笑)。

初対面の日に”あなたは神を見失ってしまっている”とか言いながら追いかけられた経験があり、”うるさい!”と怒鳴ったような・・・相当うざったいと思った記憶があります(笑)。

その1年後、彼女自身が養成コースに参加しました。

私はリトリートに参加して、たまたま彼女の大きな節目となった体験の一つに居合わせました。

彼女はコース参加者の誰よりも長時間、毎日瞑想していたようですが、その自負心は相当なもので、他の人をだいぶん見下してもいたようです。
そんな態度をミーティングで皆に批判された彼女は、すかさず一人ひとり指差してお返し発言をした挙句、最後に”私がこの中では一番アセンションしてるんだから、ふん!”と締めくくりました。

あまりのエゴに、居合わせた人全員の口があんぐり開きました。

養成コースの指導をしていたカーリーとバガバティは、ショックもあらわに”そんなエゴを抱えて教師になることは、間違ってもありえないわよ”と彼女に言いました。
他の仲間もまた彼女を批判し始め、騒然となりました。

私はこの時点では、彼女に何もネガティブな感情を持っていませんでしたが、ああ、この勘違いはちょっと痛々しいな、と思いました。そこでちょっと遠慮しながら、”私たちは、優越感を得るためにアセンションするわけじゃないよね”と言いました。

教師でも何者でもなかった私の発言を、彼女はなぜか、静かに、素直に受け止めました。

私の言ったことが彼女を変えた、とかではありません。ただ彼女が、この騒ぎの最中のどこかで、エゴと向き合う決意をしたのだと思います。
そしてその後、引き続いて他の人が彼女への不満や、傷ついた気持ちを表現するたび、彼女は黙って、それを受け止めようとしていました。

彼女の中の深い抵抗と、それを無理やりねじ伏せようとしているのが、はっきりと見て取れました。あたかも鉄の分厚い、重たいドアをジリジリと強引に押し開けていっているかのような・・・それが目に見えるかのようでした。


そして彼女の中の、”私が一番正しい、他の人はみんな間違ってる”的なものが落ちました。


見事でした。



私にとって相当印象深い出来事でしたが、これは前回書いた彼の事件が起きる前のことです。