新郎・新婦ともになかなか色濃いキャラクターで(^^)、どちらかというと結婚についても皆が ”ええ?!素敵じゃな〜い!”などと言うことはなく。。。。
新郎は非常に我が強く、彼の深い心優しさや、真理とか神とか呼ばれるものに対する真摯な思いは、”俺が正しい!”というエゴによって陰ってしまいがちで、人のいうことも素直に聞けないキャラです(でした?)。
彼らの結婚式は、通常の結婚式と大きく異なるものになりました。
まず現在は結婚生活についてのカウンセリングが主な仕事である、という神父さんが、相談を受けた数々の夫婦、および自分の経験を通して、夫婦が実際に感じていることを伝えあう代わりに、いかに瑣末なことで言い争いを続けるか、という話をしました。自分のプライドを捨てて、相手を思いやるのには、往々にして自分以上の力が必要である、と。
それがまったく説教臭くなく、とても真摯な、一対一で個人的な話を聞いているような、心に響くものでした。
続いて新婦に、結婚に関しての決意を自分の言葉で述べるように促しました。
これも、通常の結婚式とは大幅に異なります。
彼女はどちらかというと、人受けばかりを狙って、自分の感情とは切り離されてしまっているような感じの人だったのですが、そこで述べられたメッセージは同じく真摯なもので、神父さんと何度も、深く話し合った様子も感じられました。
そして、くだんの彼の番。。。。
彼女に出会ったことへの感謝を述べようとした彼は、嗚咽をこらえるのがやっとで、言葉を発することができなくなっていました。
神父さんに”大丈夫かい?”と、何度も聞かれながら、かろうじて数行を発した彼は、それ以上話すことを諦め、式は先に進みました。
聖書の一節が読み上げられ、祈りがささげられ、ここで夫婦の宣誓、となりました。
”あなたは彼を(彼女を)、夫として(妻として)受け入れ、どんな時にも支え合うと誓いますか?”
”Yes, I do - with God's help." (神の助けを借りて行うことを誓います。)
Yes, I do with God's help
やられました。
そこまでは彼が泣いてもかろうじてこらえていたのが、耐えきれずテッシュ導入(^^)。
私はアメリカ人の会社の集まりでもキリスト教のお祈りを始める風習(南部なので)が好みでなく、ちょっと斜に構えるところがあったのですが、あの我の強い彼が、”自分だけではできない”と大いなるものに自分の宣誓を委ねた姿に、完全に打ちのめされました。
彼のこれまでのもがき、苦しみを知っているだけに、その言葉の真実が直接的に感じられ。
そしてそれは彼に限ったことなどでは全くなく。
深く、深く、頭が下がっていきました。
自分でできることには限りがあるのだ、と気づくとき、とてつもない解放があります。
本当に美しい結婚式でした。
祈りを捧げる新郎の介添え人