2014年9月9日火曜日

概念の外側へ

悟り、と呼ばれるものを追いかけて18年たちます。18年というのは、私が大人になってニューエイジに出会ったところから数えての年数ですが、実際には、形を変えて子供の頃からずっと追いかけてきたと思います。

悟り、という到達点などない、ということに気づくのに、それだけかかりました。ずっといつか、悟りに到達して、苦しみ一般から自由になるのだと思っていました。特別な精神状態に達して、超能力を得るのだと思っていた時期もありますし、超能力への興味がなくなった後でも、この特別な精神状態というか、レベルというかに達して”完成品”になるのだと思っていました。

完成品になって、完璧になって、あとは永遠に幸福が続く・・・

カーリー、トニー・パーソンズ、U.G.クリシュナムルティ、ジョーイ・ロット、その他色々な人が口を揃えて『それは幻想だ、ただのおとぎ話だ』というのを聞いても、『ほんと、そうよね!』とかいいながら、彼らの言うことをわかっているつもりになっていながら、実際にはまったくその幻想をあきらめていなかったのがわかります。悟ったらこういう風になる!という願望・イメージが強くあって、誰の話を聞いていても、読んでいても、自分のイメージへの到達にどう応用できるか、という視点から内容を微妙に”編集”して解釈していました。

目覚める、というのは、すべての概念の外側に飛び出すということです。 

すべて、というのはすべてを含みます。これまで生まれて習ってきたすべてです。その中で気に入った一部はとっておいて、というわけにはいきません。それが間違いなく、足かせになるからです。

目覚める(私は悟り、という言葉より、こちらの方が好きです)というのは、『型をなくして生きる』ということです。ある完成型を作って、そこにはまって生きるのとはまったく正反対です。

そんな生き方には、安定感がありません。次に何が起こるのか、過去に基づいて予想をたてることもない、それに従って行動することもないわけですから、、、、自分はこれを知っている、などという確たる信念も一切持てない、どこかへ向かっているという安心感も、守れるものもありません。

創造性は、そんな『場所なき場所』に存在しています。