2014年9月30日火曜日

マインドは経験を追い求める

マインド(物を認識したり、識別したり、思考や判断を下すといったことを可能にする機能・能力)の性質は”動”です。静寂を経験したときに、『・・・すごい静かだわ。』とつぶやいて、静寂の一部の振りをしながら静寂を破るのがマインドです(笑)。経験が起きると素早くやってきて、その分析、解析、説明、理由付けを行い、意義を説明してくれるのが、マインドです。未来予測もしてくれます。

そんなマインドには、”静”は管轄外です。

例えば静かな湖面に小石を落とすと、波紋が広がります。



波紋は小石が落ちることによっておきた余波です。マインドはこの小石と波紋について永遠にコメントを続けます。しかし、波紋が起きることを可能にしている静かな湖面には、一切興味がありません。動きのない静かな湖面は、マインドの理解がおよぶところではないからです。

スピリチュアリティ、と呼ばれるものを探索する中で、私はこれを何度も繰り返し体験しました。ちょっと不思議な体験や、神秘的な経験が起きると、もうその波紋をおいかけて大騒ぎ・・・その意味合いを探ったり、それについて語ったり、繰り返し頭の中で巻き戻し・再生したり(笑)。そして次の”小石”を求め、もっと大きな体験への期待と妄想を膨らませていました。経験というものが経験に過ぎないこと、起きたことにそれが起きた、という事実以上の意味合いなどない、とわかるまで、当分かかりました。

体験は波紋と同じく、湧いては消えて行きます。追いかけても追いかけても、きりがありません。

波紋が起きることを可能にしている湖面は、波紋が起きる前も、起きている最中も、消えた後も、そこに静かにただ、あります。