2014年9月18日木曜日

何のために瞑想するのか―アディヤシャンティから学んだこと

アディヤシャンティから学んだことを書きたいと思います。

私は何年も、ただ盲目的に瞑想したり、目覚めに関する様々な教えの本を読んだり、セミナーに参加したりしていました。常に”最上のもの”に目を光らせ、”良い”とか”効果がある”とされるものがあると飛びつく習性があったので、新たなものを取り込んでは盲信する、ということを繰り返していました。その結果、自分の中で様々なアイデアがごっちゃになり、わけもわからないまま架空のゴールに向かって努力を続けていました。自分では自分のやっていることがわかっているつもりでいましたが、実際は相当な迷走状態でした。

アディヤのThe End of Your Worldは、そんな私の目を覚ましてくれた本です。”一体いつになったら、私たちはただいい気分になりたいために瞑想するのをやめるんだろう。”というメッセージにひどく打たれました。怒りの不快感から楽になりたい、嫉妬から楽になりたい、あの愛情に満ち足りた感覚、高揚・恍惚感にいつも浸っていたい・・・私はまさにそのために瞑想や他のワークをしていました。

”一度ここで正直になって、自分がスピリチュアリティから何を得られると思ってやっているのか、本当は何が欲しいのか、自問してみてはどうだろうか”とアディヤは言います。そこで初めて私は立ち止まり、自分が何を欲しがっているのか、自問してみました。

私が欲しかったのは、”私”の幸せです。それはお金が適度にあって(過剰にあるとお金目的の人を周囲に引き寄せる、という恐怖があるので、億万長者にはなりたくありません。適度なお金持ち、です)、人にいつも好かれて、嫌なことが一生起きなくなること、でした(^^;) 

しょうもない答えですが、本音であって、いい、悪いではありません。ただ、自分が何を欲しいと思っているのか、きちんと直視するのだけが目的です。本当に欲しいのは”私”が幸せになることなのに、”真実を知ること”が目的の振りをしていたんだな、と正直になることで、心が解放されました。

じゃ、これが本音だから引き寄せの法則とか、別の方向へ行ったかというと・・・それは起きませんでした。