2014年9月24日水曜日

”それ”に最初に気づいたとき

すでに亡くなられましたが、ニサルガダッタ・マハラジ、というとても有名なグルがインドにいました。彼の叡智を表現した、I am THAT『私はそれである』という言葉は、彼の教えを集めた本の題名ともなっており、その教えを集約する表現となっています。

”それ”、というのは、この五感、もしくは六感でも捉えられないものを表現するのにぴったりだと私は思っています。また”それ”はそこいら中に溢れていて、なんら特別なものではありません。その素晴らしい平凡さも表していて、しっくりきます。

私の中で、”それ”がようやく意識にはっきりとまったのは、去年のことです。ただし、これは表面意識でも自覚でき、忘れることのないレベルで思い出した、というだけで、その前にも数えきれないくらい”それ”を思い出すことはありました。誰でもそうです。

最初は、寝ているのでもない、起きているのでもないという中間意識の中で、認識が起こりました。横になって、自分に関するアイデアを一つ一つ放り出していきました。「もう佐藤花子(仮名・笑)しなくていい」、「”私”しなくていい」、「人間しなくていい」・・・といった具合です。自分についてのアイデアを捨てるたび、深い安堵感を覚え、空っぽになると同時に、沈み込んでいくような感覚がありました。

やがて自分が、名前をもらう前にも、”私”という自覚を持つ前にもちゃんと存在していたんだよなぁ、という当たり前のことに、深い意識状態で気づきました。自分に関するすべてのラベルが剥がれても、まだ、私は存在している・・・ただし、この場合の私は、佐藤花子という私とは全く違う・・・

そしてさらに、赤ちゃんとしてお腹に入る前にも、何かが存在していた、その何かが赤ちゃんの身体を形成したこと(赤ちゃんの身体に何かが入ってきた、というのではありません)、この身体が老いて死んでも、同じものが存在し続ける、ということが突然はっきりしました。

その認識は、はっとするもの、まさに一瞬のひらめきで深い光明を得るような感じであったとともに、それがいかに普通のことであるかが明白、という不思議な感じでした。これを飾り立てて、大げさな神秘体験や悟り体験として捉えることは不可能な感じがしました。