2014年8月25日月曜日

彼女のそばにいて思うこと

短いリトリートに行ってきました。私は現在、時間にしばられないとても贅沢な生活をしています。それをわかっているカーリーは、機会があるとリトリートやコースに私を呼び出してくれます。今回は1週間のコースの途中で帰った人がいたので、その空いたスポットに入れてもらい、片付けや次のリトリートへの準備を手伝ってきました。

カーリーのオペレーションは、365日24時間サービス体系です(笑)。参加費を安くして、多くの人が繰り返し参加できるようにするために、ホテルを使わず、個人が提供する自宅や別荘でリトリートを行います。自分の自宅や別荘でコースを開催したい、という希望者が結構いるので、その要望に応える形でコースが開催されます。食材の買い出しから、掃除、簡易ベッドを持ちこんでセットアップしたりと手作り的要素が多く、参加者の指導と合わせて相当な重労働です。一緒に行動するたび、疲れ知らずに働き続ける様を見て、自分には到底できないことだなぁ、と思います。

実際、彼女のアシスタントとして日本に行ったときは、彼女が働く限り通訳である私も働かねばならず、悲鳴をあげる寸前だったのを覚えています。あれから12年たちますが、そのペースは緩むことなく、彼女は呼ばれればすべてに応じて出かけていきます。

予定外のことが起きるのは日常ですから(会場が約束と違ってひどく汚れていたり、あてにしていた手助けが来れなくなったり)、疲労困憊している彼女の姿を見るのは珍しくありません。しかし腰の骨がずれてひどいびっこを引いていても、原因不明の極度の吐き気に襲われていても、自分の状態を気にする様子なく、奉仕し続けます。精神力、体力ともに超人的な気がしますが、そのどちらも意志の力に支えられたものではありません。

また、”今は掃除する時間だからそれに集中して、それ以外のことはしない”というようなコントロールも一切ありません。どんなに忙しい最中でも、誰かが彼女を必要とすれば、すべての手をとめて話を聞きます。

自分、私と私に必要なこと、私の考え、物事のあるべき姿等々、そういった条件付けが剥がれ落ちると、エネルギーはまっすぐに、ふんだんに必要なことに向かって流れるのだなぁと、彼女のそばにいるたび気がつきます。

関連記事:私の師カーリー・イシャヤイシャヤのアセンションとは