2014年12月8日月曜日

バイロン・ケイティ 

バイロン・ケイティについて知ったのは12年くらい前だったと思います。私はスピリチュアル・ミーハーでしたので、すぐに飛びついて彼女の本やCD(当時はまだカセットだったかな?)を買ったりしました。そしてしばらくするといつものように熱は冷め、別の”すごい人”に走って行きました。

それから6年くらいたって、旦那がイシャヤの教師養成コースに行くことを決め、私はパニックを起こしました。アメリカという異国に住んでいることも手伝って、私の旦那への執着は相当なものだったので、”6ヶ月置いて行く”=”愛情がない、捨てられた”、という思考の図式にどっぷりはまり、自分で作り出した思考と感情の地獄の中で、もがき苦しみました。

自己憐憫にひたり苦しむことが長らく続いた後、ある時、車の中に置きっぱなしになっていたケイティのCDをふと、カー・ステレオに差し込みました。そして彼女のワークを再発見し、まさに命を救われました。

朝から晩までー文字通り目が覚めた瞬間から眠りに落ちるまでー取り憑かれたように、彼女のワークを続けました。最初はCDを聞くばかりで、自分で実際にワークをするようになるまで、しばらくかかったと思います。やがて”自分でやってみなくては”という決意が湧いて、オンラインの自主コースに登録し、実際にワークをするようになりました。やがて仕事場でも、上司や同僚に腹がたったら、すぐにワークをするようになりました。旦那と電話で話していても、古いパターンが湧いて来たらそれを説明して電話を切り、スターバックスに出かけてワークをするようになりました。

旦那に対して自分が抱いていたのは愛情ではなく執着だった、ということ、この二つはまったく異なるものであることを、彼女のワークを通して気づき、目からうろこが落ちました。

”私のことを愛しているなら、あなたが本当にいい旦那なら、自分のしたいことをすべてあきらめて私に尽くすべきよ。”

というような発想を”愛”と呼んでいたのだから、恐ろしいものです(^^)。私の場合は”お前のせいでやりたいことができなかった”、という後悔や恨みを抱かれるのは嫌、という思いから旦那が行くのを認めこそしましたが、内面的にはこの考えを強く信じていました。

この”愛という名の勘違い”は、夫婦や恋愛関係に限りません。そしてケイティのワークでは、それがいかに”笑える間違い”であるかを見ることができるのもいいところです。

ある女性は彼女の年老いたお母さんが、”社交性に欠け、自分の人生と呼べるものを持っていないからいつも不幸せでいる。”ということに苛立ちを覚えていました。そして”もっと出かけたらどうなの?犬でも飼ってみたらどうなの?”などといったアドバイスをしては、耳を貸さない母親に業を煮やしていました。

ワークをする中で、ケイティは、
「つまり、あなたが満足してイライラしないですむために、お母さんは行きたくもない場所に出かけて、好きでもない犬を飼わなくてはならないわけね?」
と指摘し、さらに
「で、私たちはそれを愛と呼ぶわけね。」
と続けて、会場は大爆笑に包まれました。私たちの誰もが、多かれ少なかれ同じことをしていること、そしてそれがいかにバカバカしい漫才であるか、皆よくわかったからです。ワークをしていた女性は大笑いして涙を流していました。

ケイティのワークを”再発見”してから半年後、ケイティと実際にワークをする機会に恵まれました。貴重な機会を無駄にしないように、格好つけないで、我を丸出しにして臨んでみました。彼女とロールプレイをする中で、我を張り続けると、自分の一番愛しているものを遠ざけ、失う、ということを体感しました。

翌朝、二日目のセッションで、ケイティに感想を聞かれました。一夜経ってみて、自分は旦那と戦っているように思っていたけれど、実際には自分の頭の中にある思考やイメージと戦っていたのだ、だからどうやっても勝つ望みなどなかったのだ、ということがはっきり見えた、ということを伝えました。

それからまたしばらくして、自然とワークから離れ、またイシャヤのアセンションに返っていきました。今でも彼女への感謝の想いは深く、フェイスブックで彼女の日々の言葉を楽しんでいます。

ちなみに、これは昨日のものです。
God said, "Katie, you must save the world." So I dropped all my plans to save it. World saved; done. Next?
神様が言いました。「ケイティ、世界を救いなさい。」そこで私は、世界を救うことに関するすべての計画を捨てました。世界は救われました。任務完了。次は?

I love Katie.