2019年12月12日木曜日

私たちの全体像


中田敦彦さんのYouTube大学を楽しんでいます。

金融からダビンチの話から・・・世界の3代宗教の話が、キリスト教が主体の国(アメリカ)に住んでいる身には、特に勉強になって面白かったです。

なんと言ったって、旧約聖書から新約聖書から、すべてをあの短時間にまとめて歴史と政治の繋がりまで解説してしまったのだから、凄すぎます。
物事の全体像を示そうとしてくれる、俯瞰図(ふかんず)を提示しようとしている、あの目線・立ち位置が好きです。

そしてこの禅動画では、妙に英語になりながら禅の教えを要約しているのも、おかしくて楽しかったです。

お勧めします!

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俯瞰図、あるいは全体像と言えば・・・

アメリカで結婚してやっと労働許可を受けた後、日系企業に就職しましたが、6〜7年後に人員削減で会社を辞めなければならないことになりました。


次の就職先を探している時、アメリカのとてもいい会社からお声がかかったのですが、電話越しのインタビューで、”もう数年したらこの会社にいい人材になる”と言われてとても傷つき、英語を鍛え、スキルをもっとつけようとビジネスの大学院に進みました。

大学院で勉強する中で、自分がどんなに一点凝視で仕事に取り組んでいたかに気づくことになりました。狭い視野の中でしか物事を考えられず、与えられたことだけをこなしながら誰々がこう言った、会社の規定が間違ってる、あーのこーのとチマチマとしたことに反応し、間違い探しにばかり励んでいたなぁ、と気付きました。

会社というもの、ビジネス、経済、社会の全体図を学び俯瞰図から眺めてみると、それまでただ言われて嫌々やるだけだったすべてのことの意義がわかり、ビジネスも経済もなんて面白いんだろうとびっくりしました。
こういうことを知らずにただ仕事をしていたことを残念に思いました。

その後結局、会社でキャリアを追う生活からは離れることになり、取得したMBAも直接効力を発揮することにはなっていませんが、私にとってはいろんな意味で素晴らしい学びと経験になりました。


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そしてその俯瞰図、全体像・・・
人において、その存在の究極の全体像とはなんでしょうか。

世界で起きている事柄について、人間を中心にすべてを考える視点から、ありとあらゆる有機体を考慮に入れて、地球上のすべての生き物の関連性において人間の立ち位置を考える、というのが外的にはありますね。

内的にはどうでしょう。

起きてくる事柄の詳細を自分と同一視して生きるあり方に対し、そのすべてに気づいている意識としてのあり方に目を向ける・・・

デービット・R・ホーキンズは、content とcontextという言葉でよくこのことを表現しました。

今例えば、この文字を読んでいる時、あなたの頭の中には何が起きているでしょうか。
意味を考え、連鎖反応で他の考えが浮かんできたり、
内容に対して感情的な反応があったり?

この”私”と私の感情、意見、感覚、思考などと言ったものがコンテンツ、すなわち内容物です。

そこから一歩引いてみます。

コンピューターの画面の周囲に、部屋なり、オフィスなりの環境が広がっているのに気づきます。家族や同僚が周囲にいるかもしれません。
そちらに気づくと、画面に映し出されている内容に取り込まれていた時とは、だいぶん感じが違いますね。

さらに引いてみます。

感覚は視界の前面だけでなく、後方にも、上方・下方にも、境なく広がっているのに気づきます。

こうなると”私”が何かをしているというより、ゆったりと広い視界の中に、物事がただ起きていることに気づく視点になります。

そしてさらに・・・

その視点に気づいているのはなんなのか。
そこが私たちの究極のコンテクスト、すなわち起きてくることすべてを抱合する全体像、ということになります。

そしてこの視点に返り、自分を内容物としてでなく全体を抱合するものとして生きるのが、瞑想です。

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