2019年11月20日水曜日

エゴの居場所、私という空間性

みなさんもきっと、自分の頭の中で、あのおなじみの声を毎日聞いていると思います。

ああするべきだった、こうするべきだった、ああなったらどうしよう、いやいやこうなったら・・・などと延々におしゃべりを続ける、あの声です。いろんなアドバイスをくれますが、あんまり役に立たないこともたくさん言います。

この頭の中のおしゃべり=思考パターンは、デフォルトモード・ネットワークと呼ばれます。現在では神経科学や脳医学の分野で脳内の位置も特定されており、”エゴの居場所”などとも呼ばれています。頭の中の独り言が盛んなときに脳の特定の部位が活性化するのです。

この思考パターンの中には、日常役に立つ情報もあるのですが(車の運転、コンピューターの操作等、習い覚えたことを自動的に行える)、不毛な心配事、人のあらぬ腹を探って心配する、起きていないことについて思い悩むなどといった、不健康なものもたくさんあります。不毛な考えを囁く声に同一化すると自滅的な行動に走りやすい、同じ不健康な行動パターンを何度も繰り返す、ということもあります。

ですがこれは私たちの存在の基盤の上に、”繰り返し”によって培われ、強化されたパターンであり、私たちそのものではまったくないので(頭の声はそうだと主張して止みませんが)、私たちは終始、このパターンの外に出ています。当然。

いつもと違うところへ旅行に行った時、自然の静かな、あるいは圧倒されるような美しさの中にたたずむ時、人によっては子供を出産した時とか、病気で熱に数日浮かされたあと、等々。

奈良の大仏様や大聖堂など、宗教的建造物も人の心を自分より大きなものへいざなう役割がありますね。

話題になるのは臨死体験とか、瞑想などによる超越体験とか、派手目なものですが、人の意識、気づきは、終始このエゴのパターンからするりと抜けているものです。

だって、エゴは”私たち”ではないから。

このエゴのパターンの外に出て、”我に返る”のが瞑想です。

存在の基盤としての、ただある状態にあるのが瞑想ですから、コーヒーを飲んでいてもおきますし、お皿を洗っていても起きます。人と話をしていても起きます。

ただ残念ながら、このパターン思考の癖は、何年、何十年に渡って強化されてきているので、通常一瞬途切れてもすぐに活動を再開します。また派手な経験がない場合(笑)、途切れている瞬間を意識できないことも多いです。

また無理強いすることもできません。そこで無理なく、いつでも行えるリマインダー、

”自分に返ることを思い出させる”新たな習慣を利用するわけです。

そうしたいな、と思うなら。

それによってエゴから離れ、自分に返る時間が増えると、自分の空間性にだんだん馴染んで行くようになります。自分は空間に浮かぶあのざわめきや囁きではなく、むしろそれらが浮かぶのを浮かぶままにさせている、空間なのだという気づきです。

ただ・・・簡単ではありません。

だからいつでも、どこでもできる簡単な手法を、優しく、かつ確実に続けて行くのは必要です。

それは何かで自分を変えていこうとすることではなく、じっくりと自分を見つめること、自分という現象に起きていることをゆったりと見てみることなのです。



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←残念ながらまだ英語のみです。