2018年4月3日火曜日

成長のらせん4 〜わたしたちの実年齢


先週末はイースターだったので、卵にペイントしてみたりしました。

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教師養成コースに行くたびに、いつも驚いていたのは、

”参加者が全員どんどん若返る”
ということでした。

実際これは、教師養成コースでなくとも、アセンションのコースを教えていると、
ほぼ毎回気がつきます(宣伝じゃないので、安心して先をお読みください(笑)。
宣伝は最後に別途で設けています(^^)。)

たった3日間の間に、みんなの顔が子供に返る。

深い休息や、安心感がもたらす効果の一つです。

心身が休まって身体が若返る、というのは当然ありますが、
”あれをしてはいけない”、”こうあってはいけない”
と信じてきたことの数々を捨てて、あるがまんまの反応を自分に許すことが増えると、
子供のようなあどけなさや自由さが自然に顔に現れてくる、というのもあります。

さて、ここ2年は、それにちょっとした違和感を感じてもいました。
参加者はともかく、ボランティアをしている教師たちもみんな子供のよう。
60歳を超えている人も、22歳の人も、みんな実年齢10歳〜13歳くらいに感じられました。

いい、とか悪い、とかは一切ないのですが、何かが引っかかる。
なんなんだろう?
なにが引っかかっているんだろう?

そしてある時、ふいに腑に落ちました。

実年齢。


年齢と成熟度は同じじゃありません。
”大人”の振りをしているその皮を脱いでみると、仮面を取ってみると、私たちほとんどが実際、それくらいの年齢から成長していない。

気づいてからずっとあたりを見回していましたが、私の目に実年齢的に成熟して映った人は、たった一人しかいませんでした。

改めて言いますが、良い悪い、ではありません。
ただ本当にびっくりしました。

その後も日常の中で、友人の悩みを聞いたりしていて、私たちは実際は12歳どころか、
あの赤ちゃんのとき、”んばぁ!”と大人の注意を引いて喜ぶ、安心する、あの地点から、
ほとんど成長していないんだなぁ、と実感しました。

外界から注意を引いて、自分の存在を確認して安心する、その方法こそ、
赤ちゃんの時より巧みになっていったかもしれませんが、根本は同じです。
ただ、それを繰り返している。

外界に確認しなかったら、フィードバックがなかったら、”私”は存在してるか
わからない、いなくなっちゃう。
よくても悪くても、フィードバックがあれば、私が存在してることが確認できる。
”私”の何らかの価値が確認できる。

だから、存在を肯定されないかも、されなかったらどうしよう、という恐怖は、
私たちの中にとても大きくあります。

私たち、表面上大人の多くが、日々その恐怖と戦いながら、その恐れに駆られながら、
その恐れ主導の元で生きています。


成熟、というのは、その時々の必要性が十分に満たされると、自然におとづれるものです。

ここで、ああ、子供時代に満たされなかったことがたくさんあるから、インナーチャイルドをまず満たしてあげないと、というアイデアが出てきます。

インナーチャイルドというアイデアに悪いことなど何もありません。
適切な表現です。

ただインナーチャイルドはアイデア、架空のものなので、満たしようがないんですね。
乾いた砂のように、水を撒いても撒いても吸い上げる。
一瞬は満たされたようでも、すぐ次の必要性が出てくる。

今度は私のああいう面が出てきた、こういう面が出てきた、
それはきっとあの時のあれが傷になってたからだ。
それを癒さないと、あれを癒さないと・・・

底なしのブラックホールのように、エネルギーをつぎ込んでもつぎ込んでも、
終わりはない、満たされることはない。

架空のイメージを満たすことなどできるわけがありませんから、
”本体”を見つけない限り、何も変化は起こりません。

本体。

本体って何だろう?
自分の本体って何だろう?

起きてくることはすべて現象ですから、現象は存在ではありません。
現象に存在はありません。
現象は存在から起きます。存在の中でのみ起きることができます。

じゃぁ、存在しているのは何なのか。

それをただ見つめる時に、それが自ずとあらわになって行く中で、
私たちは自らを知ることになります。

そして知るたびに、それが深まるたびに、

自分の中の真の充足度が増していきます。

さらに安心して、架空の自分を捨て、存在を眺めるようになります。

ごく自然に、成熟が起き始めます。

成熟というのは、真の存在を知ることでのみ、もたらされます。

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イシャヤのアセンションコース、4月開催の情報は下記から。