2015年1月19日月曜日

自己とは何か:バーナデットのユニークな表現

バーナデット・ロバーツの最初の本、The Experience of No-Self (邦題『無我の体験』)は、あるとき突然自己という感覚が抜け落ちてしまった彼女の体験について綴った本です。彼女は自分に何がおきたのかわからず、助けを得ようにも同様の体験を持つ人、またはその事象に関する理解を持つ人を見つけることができませんでした。答えを求め、ありとあらゆる宗教的な文献を読みますが、求めていた説明を見つけることはできませんでした。

自分同様、突然このような体験に見舞われた人に、なんらかの理解の助け、道しるべを残してあげたい―そのような思いを持って書かれたのが最初の本です。その後彼女は、自己の喪失に至る過程について段階的に説明する本(The Path to No-Self、邦題『神はいずこに』)を書き、さらに”自己とは何か”をテーマにした本(What is Self?)を書きました。

その後も数冊の本を自費出版し、また非常に限られた形でですが、セミナーも行っています。私が彼女について知ったときには、最初の頃のテーマ、自己とは何か、自己が無くなるに至る過程について(より正確には、人が自己を通して神、もしくはすべてなるものを知り、そこへ帰る過程について)のセミナーは終了していましたが、その内容はビデオに収録され、今も販売されています。

バーナデットの表現は非常にユニークです。セミナーでも手作りの教材をたくさん使いますが、もと小学校の先生だったのがよくわかる、かわいい教材がたくさんあります。

A Passage Through Selfと題されたこのビデオの中では、かわいい教材は使われていませんし、壁には十字架がかかっていますし、バーナデットの服装はまた独特で、多くの方はそれだけで引くかもしれませんが、内容は秀逸です(笑)。そのごくごく、ほんの一部をものすごくかいつまんだ形でご紹介しますと・・・

バーナデットは意識=自己である、と言います。彼女は意識を円という形で表現します。

意識には二つの次元があります。一つ目の次元は”知っている”という次元です。
意識は常に前屈みになって自分を見つめています。主体としての自己が、自らを客体として眺めています。それによって”自分”が存在することを知っています。自己、というのは人の最も直接的な体験です。

なるほどどおりで、私の興味はいつも”私〜 わたし〜”なわけだな、と思ったりもしますし、もうちょっと繊細なレベルで、常に自分の輪郭の認識がそこにあるのも、”自己”というものがある以上当然なのだな、と納得したりします。

意識の二つ目の次元は、”感じる”という次元です。そしてこれは反射的な機能です。

彼女は、意識は神(すべての存在の源、エネルギー、表現はなんでもいいですが、彼女は神という表現を使っています)の上に被せられた、薄いベールのようなものであると言います。


そしてこの意識には、中心点があります。

この中心点は実際には小さな穴で、ここを通してその向こう側=神を認識することができます。

神、あるいはすべての存在の源は、”すべて”なので、そのままでは認識することができません。あまりに壮大で、つかみようがないからです。しかしそれが覆われ、さらに小さな穴があることによって、”焦点”が作り出されます。この焦点に集中することで、神を認識することが可能になるわけです。

多くの人が最初は自分の内を見つめることで神なり、すべての本質なりを見つけ出すのはそのためで、やがてそれが本当に、あたり中にあること、すべてであることを見いだすまで、この自分の一番深い部分で神を認識するのだといいます。

というのは、本当にごく一部の、ものすごい短縮版の紹介ですが、興味のある方はこちらからビデオを購入できます(今見たら私が買ったものと長さが違う・・・作り直したのか聞いてみなくては!)。残念ながら英語のみとなります。

さて、長々とバーナデットの紹介をするに至ったのは、最近気づいたことについて書きたかったからなのですが、長くなったので今日はさすがにここまでとします。