2015年1月14日水曜日

視点のない視点

車のドアが壊れてしまったので、オンラインで部品を買い、修理屋さんに持って行って取り付けてもらいました。付けてみたら色が違う・・・部品が届いたところで確認しなかった自分にも、取り付けるときにそれに気づかなかった修理屋さんにも笑えます。そして家まで帰って来たら、車が内側から開かない・・・・(笑!!!)また行かなくては(^^;)

これがアメリカな日常です(笑)。

私が頼みにしている修理屋は、車で40分ほど離れたところにあります。なので運転時間に”自分確認”を楽しむことができます。車を運転しているときは、視界が広くなりやすいです。ダグラス言うところの、「小さい二つの穴から見ているんじゃなくて、一つの大きな目で見ている」ということを自分で調べてみるのが、すごく自然に起きます。それ以前にも自然に起きていたことですが、彼の本を読んで、漠然と経験していたことが意識的に確認できるようになったのは、とても助けになっているというか・・・楽しいです。

”一つの目”と言っても、時折イラストで見るような、大きな目、という感じとはまったく違います。この目には、枠がありません。特定の位置がありません。視点のない目です。実際、目という言葉は特定の部位、その形や機能や位置を連想させるので、大分違うな、と感じますが、この”見ることそのもの”を、他に表す言葉が見つかりません。

顔の前からではなく、頭の後ろから見る、というような表現も何度か聞いたことがありますが、それよりももっと広いというのが私の経験です。むしろ、空間中に”見ること”が溢れているような、満ちているような。それでいて、すべてはまったく透明です。

前を見ながら視点をこちら(自分)に向けると、ぱたっと蓋が開くみたいに中と外が一緒になります。こちら側にあるものと、目の前にあるものはまったく同じ”それ”で、中を見るのと外を見るのには違いがありません。そこでアセンションのテクニックを思い浮かべると、最後の緊張―見る、確認することに伴っていたわずかな緊張―がぐしゃん、と潰れ、突然”それ”だけになります。それが起きるとちょっとした恐怖が湧いて、慌てて普通の機能が戻ってきたりします。

一個一個、毎瞬毎瞬確認してみる。ただ、見て見る。

それに無上の喜びを感じます。やってもやってもやり飽きない。これ自体がご褒美です。

変な感じです。


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