2015年3月9日月曜日

名前のちから

すべての物には名前があります。


すべての物は名前を与えられることで、社会の中にその”存在”を与えられます。名前を与えられることで存在が明確になります。新しいものが見つかると、大抵の場合、まずはそれをなんと名付けるか、ということが話題になります。

名前には大変なちからがあります。

おとぎ話ではよく、魔女が誰かを意のままに操るのに、相手の本当の名前を知ればいいだけ、なんて設定がありますが、まんざら的外れでもありません。

名前を与えられたものは、次に定義を与えられ、分類されます。名前を与えられると、輪郭が生まれます。”なんとなくそこにあるもの”ではなくなります。

これは個体(のように見えるもの)に限らず、感情や感覚も同じです。

感情や感覚は、生まれた先から消えていきます。もし邪魔をしなかったら、感情や感覚に気がつくときには、ほとんどそれは過ぎ去っています(これは実は、思考も同じです)。


でも、これに名前を付けると・・・


急に輪郭がはっきりして、”意味合い”が生まれます。
そしてもし、それが”いけない”とされるものだったり・・・”嫌い”というカテゴリーに属するものだと分類されたりすると、


”どけなきゃいけない!”、”やめなきゃいけない!”、などといった抵抗の盾が持ち出される結果、余計にそれが肥大化されたりします。


だけどどんなに怪獣化したように見える感情、感覚も、名前の呪文を唱えるのをやめると、瞬く間に本当の姿に戻ります。


生まれては消えて行く。気がついたときには、実はしっぽしか見えていない。残像しか見ていない。

”私”、も同じです。


(ちょっと絵が怖いかな・・・^^;)

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