2015年3月6日金曜日

優しい世界

雪の降った翌日。


お隣の屋根を見たら、この日の空の色は雪の色とおんなじで、空と屋根の境がわからない。

それが妙にくすぐったい気がしたりして。

そしてはたと気づく。

もしお隣さんが眺めたら、自分の家の屋根もきっとこんな風に見えるんだろうなぁ、って。

だけど自分の家の中から、自分の家の屋根は見えないから、私はお隣さんの家を通してしか、これを発見することはできない。

普段は近すぎるように思えるお隣さん。でもお隣さんの家がいなかったら、このくすぐったい光景に気づくことは無い。

お隣さんも私の家なくして、これに気づくことはない。

写真元:Veterinaria, Facebook page

フェイスブックで見かけた、目が覚めるように美しい鳥。

でもこの鳥は恐らく、自分がどんなに美しいか、一生知ることはない。

羽つくろいをするときに、羽の先端は見えても、自分の全身を見ることはできないから。

水に映った前身は見れても、後ろ姿は見れないから。

自分の全体としての美しさを知ることはない(鳥が気にかけることがあったとして、だけど)。

この美しさは他のもののために存在する。

それを見るもの、それに気づくもののために存在する。

”私の見かけは、私のためではなく、相手のために存在する”という、ダグラス・ハーディングの言葉を思い出す。

その理解が示す、世界の優しい造りに心が溶ける。

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