2016年4月9日土曜日

特別さの消滅

スピリチュアリティの最大の人参は(そう、鼻の先にぶら下がるにんじんです^^)、紛れもなく、その

”特別さ”

にありました。

こことは違う、この代わり映えのしない日常ではない、光と愛に満ちた世界。
これまでの私とは違う、光の存在としての私(キャ〜〜〜)。
あるいはとてつもない存在との遭遇。
日常からかけ離れた経験。
他の誰よりも優れている自分。
すべてを超越して、ガイドとなる自分。

あるいは単純に、人に”特別だ”と認めてもらいたい。

等々・・・馴染みのあるもの、一つでもありますか?


この”特別さ”への渇望は、”それ”にどんどん心が、注意が向かううち、私の要望とは関係なく、自然と薄れていきました。

”特別な”存在であったり、経験であったりを味わうためには、
その反対の存在や経験を必要とします。

つかの間の特別感を味わうために、私たちは喜んで惨めさを受け入れます。
・・・その自覚すらなしに。

ですが、真に生命を生きる時、まっさきに消えるのが、
”特別さ”を楽しむ、感じる、求める、その”人”そのものです。

隙間なく生命を生きる時、特別さを口の中でいつまでもしゃぶり味わい続けようとする、
その”人”が存在する余地がありません。

あんなにも特別に思えたすべての経験が、するりと、一瞬にして手のひらから、指と指の間からこぼれて消えていきます。

とどめよたいと思う余地すらなく。

その特別さについて、語る暇もなく。

悟ること=終わりなき特別さに囲まれることだと思っていた私には、まったく予期せぬことでした。

そして砂のように指の先からこぼれていくものを、惜しいと思う隙もなく、
そのことに驚く暇もなく、次から次へと生命の動きは起きてくる。

生きることを修行(練習)することなどできない、と言ったのはガンガジでしたか。

その通りです。


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