2015年11月1日日曜日

The Teacher


瞑想関連のある種の詩のようなものを読んでいて、"The Teacher"という記述がはたと気にとまりました。これまで何度読んでも、まったく意識に止まらなかったのですが。。。

その詩は私たちの精神探求の旅を歌っています。

前半には、ヴェーダの教えに登場する、たくさんのマスター達=教師の名前が並び、彼らへの感謝が綴られています。

そして最後の章で、現象のすべてを超え、探求者が本質に帰る様子が歌われるのですが、そこに"The Teacher"が幾度も登場するわけです。

Theと大文字で始まるTeacherは、唯一の、絶対なる教師を示します。

詩の内容からも、それが人でなく、名前あるものでなく、絶対なるもの、唯一にしてすべてなるものを指しているのは、明かであると感じられたのですが、それまでそんな可能性を意識したことがなかったので、不意をつかれた感じがありました。

気づくと同時に意識が”それ”に飛びー

この目の前に、ありとあらゆるところに、音も形も存在感も一切なく、とぎれなく静かに広がるもの、が、

唯一の教師である
絶対にして無二の教師である、

という事実が急にカチッときて、なぜかとてつもない畏怖の念に襲われました。

すべてを存在させている、すべてを完璧に生かしているこの、知性を超えた知性。

それが真の教師である。

そしてこの教師の存在の前では、頭では間違っても学びえないのだ、ということが細胞レベルで感じられます。どうしてわかるのかわからないのに、これ以上なく明白です。

この教師だけを静かに見つめる。

どこかに絶望的な思いがわきます。
どこかにもっとわかりやすい言葉で、この教師についていく方法を解説しているものがあるのではないかという思いが湧いて、信頼する著書を2−3眺めたりします。

1−2行読んで、すぐに絶望感が湧きます。

人の言葉から得られる助けなどない、なんとすることも絶対にできないのだ、ということが、あまりにも明らかだからです。

そして絶対的な無力感の中で、まっすぐに、教師を見つめます。
震えながら見つめると、

震えも、
それを認識するものも、
なにもかもが消えてしまいます。